劇団辞めてドイツ行く(8)呪い――2024年9月7日
はじめての休みである。たまになる鐘がヨーロッパ感めっちゃある。日曜日はどこも休みだというのは、たびたび聞いていたのでとりあえず食料品を買いためる。昨日買ったコーンフレークは死ぬほど甘かった。ヨーロッパというか、この国は何でも甘くしないと気が済まないのか。またプロテインバーにしてもネチャッとしたものばかりで、サクっといきたいのだが、たぶんそれはチップスくらいなのかもしれない。
あと部屋の椅子がしっくりこないので tk-maxx(たぶん、日本でいうドンキ的な)で掘り出し物をみつける。二つセットで18ユーロ(現レートで2800円くらい)。同じ店で、JBLの有線イヤホンが特価で7ユーロだった(1000円くらい)ので、買ったのだが意外と音質がよくて感動している。ついついJ-POPを聞いてしまう。中島みゆき聞いて泣きそうになった。それから、今日帰ってきたら、買った洗剤の中身が漏れていて、にんにくが被害に遭った。無念である。
電子辞書は持ってきて正解だった。最近、コトバンクが広告を経ないと見られない仕様になったので、わからない単語が出てきたときにはドイツ語辞書をインストールしたex-wordが活躍する(授業行く前に落として死ぬほど焦った)。ただ、もう少しレベルの高いものをインストールしておくべきだった。少し複雑な単語になると出てこない。
進研ゼミばりに、「あ、これ独学でやったところだ!」っていうのが結構授業で出てくるのだが、記憶が朧気なので再度定着させねばならない。歳は取りたくないものである。単語もなかなか頭に入らない。単語のほうは歳のせいではない。やはり実際に使わなければ、覚えていられるはずがないのである。だから、エッセイとかプレゼンとかの課題が多い今の講義をしっかりと進めたほうがよさそうだ。しかし、ディスカッション die Diskussion で、日本人っぽくてもはや笑えるのだが、まったく話せない。何一つ出てこない。「もっと練習してね」と言われてしまった 。同じクラスの人に迷惑をかけて申し訳なく思ってしまうのも、日本人ぽっくて、日本人としてのアイデンティティ die Identifikation als Japaner がどんどん濃くなっていってしまう。多少、文法の躓きがちなところがどこなのかは抑えてきたので、繰り返し運用して乗り切ろうと思う。
ドイツに行く前、「なぜ日本人は最低でも6年は義務教育で学んでいるのに、英語を話せないのか」という動画を見た。少なくとも自分が中学生のころからあるトピックである。もっと昔から言われていると思う。それである時期から東大入試の英語は和訳・英訳中心の問題から、「運用」に軸を置いたものになっていったという。阪大・京大は自分が受験した2010年代でも、和訳・英訳中心の問題であった。記憶にあるのは、夏目漱石『心』や村上春樹『ノルウェイの森』の英訳とか、京大の過去問では何度もカール・ポッパーネタが繰り返されていた。それがきっかけで大学に入ってから頑張って『科学的発見の論理』とか、『開かれた社会とその敵』とか読んでみていた(ぜんぜんわからんかったけど、大学一回生にとってわけわからんくせになんとか読むっていうのは、いい時間だったと思う)。議論百出のところかもしれないが、どうせほとんどの日本人は使わないままで生きていけるのだし、ここまで受験の比重を高くするのはゆがんでると思う。海外の情報を読み解くということに特化するなら別に和訳・英訳中心でもいいとも思う。
とはいえ、話せなくて恥ずかしい思いをしたというのは、個々人にとってはかなり深く刻まれるので、あとからいろいろ言いたくなる気分はすごくわかる。自分だって、そこそこお勉強して、予想がついていてもいざ自分の身になってみるとこの体たらくである。
パリ講和会議で、日本から派遣された担当者はぜんぜん会議で発言しなかったと、平田君がどこかで言っていた。そのときの呪いがすべての日本人に振りかかっていて、いろんな人が抵抗を試みているが、なかなかその呪いが解けないで令和になっている。そう感じてきた(演劇だと、岸田國士の呪いである)。明治の呪いと、昭和の呪いが複雑に絡み合って、現代の日本と日本人の思考を形成している。いろんな歴史を振り返りながら、自分が今立っている場所を踏みしめた。
次回:夜道を歩き、マクシム・ゴーリキー劇場へ(スマホなしで1時間徒歩移動、当日券は買えるのか)。