劇団辞めてドイツ行く(38)「ケバブ」=「ラーメン」 ――2024年11月19日

 ベルリンには、「ケバブ」という料理があり、これを厳密に日本語訳すると、「ラーメン」になる。まず、いずれも野菜が含まれているために健康的である、という共通点が挙げられる。そのほか、

・比較的安価
・それにもかかわらず、量が多い
・肉が含まれている
・いたるところに専門店がある
・味(ケバブではソース)や野菜の量を好みで変えられる

 などがある。大きな違いとしては、ケバブ屋のほうは店主のテンション高め、ラーメン屋のほうは寡黙、というくらいである。マクロンを飴玉と訳すことに難色を示した森鷗外も、天ぷら大好きオジサンのジャック・ラカンも、これには賛意を示すだろう。世界最強唯一無二のジャパニーズ・ラーメン店、嘉晴のとんこつらぁめんが食べられないことを嘆いていたが、ベルリン・ケバブの存在が私を救った。なお、ケバブの野菜には、きゅうり派とピクルス派があるようである。個人的にはきゅうり派なのだが、ピクルス派ときゅうり派の分裂にはには何か重大な歴史的経緯があるのかもしれない。あるいはこれは何かの暗号なのだろうか。再入国の暁には入念に調査せねばなるまい。

 昨日・今日で、10本以上戯曲を読んだ。まだあと最低8本読まねばならない。一休みしてドイツ語をやろうと思ったが集中力が切れてしまった。活動限界というか、もうこれ以上テキストを読解したくない。C1まで来ると、文法事項に割かれる時間は少なくなり、とにかく語彙とか表現を増やす、一方で文法ミスは減らすという、修行感満載の段階に入る。そして、ルームメイト(A1)に、宿題の質問をされて、前置詞 in が3格(与格、Dativ.)のときには場所を、4格(対格、Akkusativ)のときには、方向を、しばしば表す、当たり前だけどロシア語とは違う(たぶん)などと例文を用いて説明したりしている。ちょっと今日はなんか疲れたなぁ。

 先日、日独センターに連れて行っていただいて、そこのスタッフの方とお話して、これから何を読んで勉強するかのアドバイスをもらった。それで、ドイツ語の本を買いに行きたいのだが、戯曲賞の審査が間に合うかどうかの瀬戸際なので無理かもしれない。日本で入手できるもので我慢するしかない。「ご自身に関心があるものから始めるのがいいですよ」とのことだったので、谷崎のドイツ語版とヴェーバーの『プロ倫』を読もうと思っている。ニーチェ『ツァラトゥストラ』やカント『純粋理性批判』、ヘーゲル『精神現象学』など日本語で読破したものは、もういざというときに原文がネットから引用できればそれでいい。ゆくゆくはハーバーマスやアーレントも手に取ろう。先のことはもうこれでいい。目下の1週間、ジタバタせずに過ごしたいが、どうも無理そうだ。。。ほんと移動ってめんどくせぇな。とにかくすべてがめんどくさくなってしまった。駅も改札ないんなら空港もゲートなしでええやろ。あかんか。

 相部屋なので、四六時中プライベートが一切ない、というのも無意識に心身に負担をかけているようである。二人とも悪いやつではないが、ベラルーシのほうは雪が降るような日でも窓を開けて上裸で寝るというタフネスを発揮している。身体の構造が異なるので、仕方ないのだが。今週から新しくきているエクアドルの彼とはうまくやっていけるのだろうか。とりあえずお金はなんとかなったらしい。

 演劇人コンクール2020のとき、豊岡の民宿でワイワイした日が懐かしい。めちゃ楽しかったな・・・あれ。あっ、なんかよくないモードに入りそうだ、これは。泣きそう。いったん帰るが、今日本に居場所があるわけではない。劇団もソロになっちゃったし。自分の足で立たねばならない。

 うん、やっぱ戯曲読みすぎたな。思った以上の情報負荷である。戯曲を読むと、いろんなことを考える。それは演劇を観ているときに考えることとは別種のものである。たぶん、審査という要素も加わっている(講評も書く)ので、単に中身を把握するという以外に、自分自身の〈価値論〉も明確に意識しているし、◯✕の判断にはある程度納得のいく、論証責任とでもいうべきものが発生するので気が抜けない。演出のために戯曲を読むほうが無責任で楽である。

 さて、オレンジジュースでも飲んで宿題やろう。いや、やっぱ早めに寝るか。