劇団辞めてドイツ行く(32)あの頃とは違う――2024年11月6日
あの頃とは違う
2019年の終わり頃、貯金が200万近く貯まったので、私はパチンコ屋の仕事を辞めて演劇にフルコミットする計画を立てていた。2020年の頭には、店長に話をつけ、2020年の5月GW明けに退職する予定だった。ところが、そろそろ職場の皆さんにご挨拶を、と思っていたところに緊急事態宣言が京都にまでやってきて、パチンコ屋は2020年4月に閉業、期せずして1ヶ月早く退職することになった。しかし、私は楽観的だったというか、むしろポジティブに捉えていた。
当時は、劇研が無くなり、E9もできたばかり。ロームシアターのKIPPUや伊丹アイホールのbreakaleg応募するなどしていたが、まったくひっかからず、実績ゼロの若手にとっての演劇への参入障壁の高さを実感し、実績を積もうにもそもそも満足な状況で作品がつくれないことに、フラストレーションを溜めていたのだが、これでしんどくなった、いろいろ抱えている上の世代が全部消えたら私の場所ができるな、などと妄想していのである。だが結局、自分より上の世代だけが守られる構図になった。
自分のやりたい表現などかなぐり捨て、何かしらの実績を持たねば、多額のリスクを背負って公演を打つ以外にやりようがなくなる。しかし、それが持続不可能な方法であることは明らかである。どうしようかと途方に暮れているところに、演劇人コンクール2020の情報がやってきた(たしか2020年4月頃)。もともとは劇作がやりたかったのだが、結局ここで既成戯曲の演出に取り組むことになり、気がつけば唯一の実績らしい実績となった。実際には2019年から演劇人コンクールに参加していたのだが、ほんとうにやりたいことかと言われればそうではない。戯曲を書くための寄り道ぐらいに捉えていた。
それでも現実は厳しく、結局はじめに書いたような「持続不可能な」やり方でしか作品発表の場を得られずにいる。ただし、「持続可能な」というのは、たぶん日本ではここ十数年の流行り言葉だが、「リスクなし」と混同してしまいそうになる。いろいろな現実に直面して、今は誰かがリスクを取らねば、はじめのうちの演劇公演は成立しないという確信を得つつあって、そのリスクを取るのが行政か、個人かとなったときに、日本ではほぼ個人あるいは個人の集合に限定されてしまうという状況を、遅すぎるがやっと最近理解した。
それでまた、コツコツお金を貯めていくことにしたのだが、先に自分にお金をかけたくなった。それは今後自分自身がリスクをとるだけの価値ある存在になるために必要なことだと感じたのである。
2019年からは貯金と賞金と助成金で2年近く独りでも生き延びることができた。フルタイムであくせく働くのを辞め、2年の自由を勝ち取った爽快感はクセになる。そして今同じようなことをまた繰り返して、もはや「労働嫌悪」的な心持ちに陥っており、ややめんどくさいドイツでの仕事探しにまったくモチベーションが沸かないようになっている。物価も、現況も、突っ込んだ金額も前回とは全く異なり、何の勝算もないにもかかわらず、感情のほうはどうにもならない。あの頃とは違う。いずれにせよ、暮らす家もないのでしばらくは流浪の民となる。あてのない旅である。
あの頃とは違う
2019年の終わり頃、貯金が200万近く貯まったので、私はパチンコ屋の仕事を辞めて演劇にフルコミットする計画を立てていた。2020年の頭には、店長に話をつけ、2020年の5月GW明けに退職する予定だった。ところが、そろそろ職場の皆さんにご挨拶を、と思っていたところに緊急事態宣言が京都にまでやってきて、パチンコ屋は2020年4月に閉業、期せずして1ヶ月早く退職することになった。しかし、私は楽観的だったというか、むしろポジティブに捉えていた。
当時は、劇研が無くなり、E9もできたばかり。ロームシアターのKIPPUや伊丹アイホールのbreakaleg応募するなどしていたが、まったくひっかからず、実績ゼロの若手にとっての演劇への参入障壁の高さを実感し、実績を積もうにもそもそも満足な状況で作品がつくれないことに、フラストレーションを溜めていたのだが、これでしんどくなった、いろいろ抱えている上の世代が全部消えたら私の場所ができるな、などと妄想していのである。だが結局、自分より上の世代だけが守られる構図になった。
自分のやりたい表現などかなぐり捨て、何かしらの実績を持たねば、多額のリスクを背負って公演を打つ以外にやりようがなくなる。しかし、それが持続不可能な方法であることは明らかである。どうしようかと途方に暮れているところに、演劇人コンクール2020の情報がやってきた(たしか2020年4月頃)。もともとは劇作がやりたかったのだが、結局ここで既成戯曲の演出に取り組むことになり、気がつけば唯一の実績らしい実績となった。実際には2019年から演劇人コンクールに参加していたのだが、ほんとうにやりたいことかと言われればそうではない。戯曲を書くための寄り道ぐらいに捉えていた。
それでも現実は厳しく、結局はじめに書いたような「持続不可能な」やり方でしか作品発表の場を得られずにいる。ただし、「持続可能な」というのは、たぶん日本ではここ十数年の流行り言葉だが、「リスクなし」と混同してしまいそうになる。いろいろな現実に直面して、今は誰かがリスクを取らねば、はじめのうちの演劇公演は成立しないという確信を得つつあって、そのリスクを取るのが行政か、個人かとなったときに、日本ではほぼ個人あるいは個人の集合に限定されてしまうという状況を、遅すぎるがやっと最近理解した。
それでまた、コツコツお金を貯めていくことにしたのだが、先に自分にお金をかけたくなった。それは今後自分自身がリスクをとるだけの価値ある存在になるために必要なことだと感じたのである。
2019年からは貯金と賞金と助成金で2年近く独りでも生き延びることができた。フルタイムであくせく働くのを辞め、2年の自由を勝ち取った爽快感はクセになる。そして今同じようなことをまた繰り返して、もはや「労働嫌悪」的な心持ちに陥っており、ややめんどくさいドイツでの仕事探しにまったくモチベーションが沸かないようになっている。物価も、現況も、突っ込んだ金額も前回とは全く異なり、何の勝算もないにもかかわらず、感情のほうはどうにもならない。あの頃とは違う。いずれにせよ、暮らす家もないのでしばらくは流浪の民となる。あてのない旅である。