劇団辞めてドイツ行く(31)〈私がそう欲したのだ〉――2024年11月4日

〈私がそう欲したのだ〉aber so wollte ich es

 これまで観劇したものには必ず評を書くようにしてきたが、ちょっとここにきて3本溜まってしまっている。まぁちょっと疲れてきてしまったのもある。寒さのせいか、手術した左肩もところどころまだ筋肉が固まっていて、あまり調子がよくない。最近ようやく授業についていけるようになってきた。宿題も、毎日4、5時間掛かっていたのが、3、4時間で済むようになると、睡眠時間も5時間は確保できるようになってきた。これでまともな頭で授業を受けられるようになったのも大きい。睡眠時間、大事。

 じつはいま、猛烈に温泉につかりたい。硬水に結局苦しめられている。飲み水はきほんボルビックに限定しているが、シャワーとか風呂とかは数日に一度のペースにしないと肌も頭皮もボロボロになる。これが思っていたよりもストレスフルである。ヘアオイルや化粧水でなんとかごまかしているが、自分が思っていたよりも神経質なことに気がついた。

 しかし、〈私がそう欲しのだ〉というニーチェ Nietzsche の言葉を常に念じている。あらゆる自分の選択に後悔しないためのおまじないのようなものである。いったん帰国することに後ろ指をさすものも多いだろう。それに帰国しないでどうにか食らいつくこともできないでもない。そうするほどにドイツに魅力を感じていない、というのが正直なところである。

 ただし、ここまではめちゃ楽しかった。むしろここからもっと深みにはまっていけるだろう。けれども、ここでたちどまりたくなった。学生のとき常にカントを携えていた黒歴史があるためか、どうしても経験論的なやり方を避けようとしてしまう性分である。だからいつも行動する前によく考えてきた。そして〈経験論者〉は〈合理論者〉に手厳しい。歴史的にも敗者の思考様式である。

 近所のLidl(リドル)。写真は従業員の飲み物である。こういうのは日本では許されない。また、リドルのレジ店員は座って接客している。これも向こう100年は経たないと日本では同じようにならないだろう。

 こういう風景は、よく日本でもSNS上で引き合いに出されて、「日本の労働環境が劣悪である」という主張を補強する。飲み物にかんしていえば、自分の経験上でも「客前で水分補給」はほぼご法度である。なぜなのかと言われても正直納得いくようには答えられない。職場によっては、「水分補給は事務所のみ!」などと張り紙がしてあったりするだろう。はじめは強い疑問を抱く新人も数ヶ月もすればそれが「当然」と思うようになる。日本のほとんどの職場に配備されている、中年以上の女性に「これは仕事なんやで、あんた?」などと圧をかけられることもあるだろう。実際、自分も人生初バイト(居酒屋キッチン)の初日、「これが仕事や」と人生初上司にドヤられた。なお、その上司は数週間後にレジの金28,000円をパクって飛んだ。「これが仕事か…」

 仕事の数だけ言語がある。日本語が話せるのに、かつての私のように新人学生バイトが使えないのはこのためである。そういうことをまったく理解せずに、強く出られないのをいいことに海外からの労働者を粗雑に扱う職場をいくつか見てきた。まったく業務の範囲外だったが、それでもそのへんのオッサンよりははるかに日本語に詳しいので、これも縁だと思って、個人的に文書作成の指導とか、関西弁を教えるとか、できる限り彼らをフォローしてきたが、本当の意味で彼らの気持ちを理解するためには自分もいちど逆の立場になってみようと思ったのである。それで結局、「働く現実」を掴むより手前で足踏みしてしまっているザマである。

 しかし、自分の関心という点で言えば、外国で働くということよりも、日本語をもっとちゃんと考えるために外国語を学びたいと思ったにすぎない。部屋でマシンを独りいじくるようにして、あれこれ言葉を推敲してこねくり回すのが好きなのである。そう考えてみると、もう少しこのドイツ語の、ぬくぬくの温室状態を維持して、納得いくまで修練したい。

 そういえば、今日やっと、guck mal (見て)というよく使われる表現を理解した。先生が授業で何回もクックマールと言っていて、スペルが分からず、調べるスキもなかったので(他にそもそもわからない単語がありすぎた)、なんか言ってるという状態に留まっていたのだが、シュプレー川まで散歩した帰りに酔っ払いがツレにスマホの画面を見せながら何回も guck mal と言っていて、こっそり音声認識させてると、ようやく意味がわかった。そりゃ授業では何度も使うわな。それでも、接続法二式 Konjunktiv Ⅱとかはわかるし、プレゼンと間違えてエッセイを書いてきてしまっても、その場で修正してプレゼンっぽく仕上げたりできる。いったん帰国してビハインドになるが、2025年8月までにはなんとかトータルでプラスになるようにしたい。