【ドイツ 演劇】The Silence (ファルク・リヒター『沈黙』――2024年9月28日 シャウビューネ劇場 Schaubühune
Schaubühne
シャウビューネ劇場に向かう。ほんとうは当日別会場で上演されていた、イプセン『ペール・ギュント』を観たかったのだが、いずれの日程も売り切れだった。
これまでどちらかといえば壁より東側で過ごしていたのだが、シャウビューネ劇場はまったく逆の西側エリアにある。旧西ベルリンは、かなり栄えているように見えた。街そのものだけでなく、街ゆく人の雰囲気や、そして、劇場もこれまで行ってきた旧東ベルリン側の劇場よりも都会的である。
シャウビューネ劇場では学割が効いた。金曜朝8時に送信した6つの劇場に、「私の語学学校の学生証は有効か」を問い合わせたところ、5つの劇場からその日のうちに、さらにそのなかでも4つの劇場からは午前中には返事が来た。金曜日であるにもかかわらず、このレスポンスの速さからは運営状況が伺い知れる。ある程度大きな劇場には2つ会場があって、金土日は両方とも稼働中、そしてどこへ行っても規模の大小問わずほぼ満席だった。
Wo ist Eingang? 入口はどこですか?
Wo ist Toilette? トイレはどこですか?
この二つさえ覚えておけばなんとかなる。あとは会場についているレストランの香りから逃げるように外に出て、タバコを吸ったら、すぐに最寄りの公共交通機関に飛び乗る。劇場周辺には、レストランも多く誘惑まみれである。
The Silence
作・演出:Falk Richter
出演:Dimitrij Schaad
初演日:2023年11月19日
観劇日:2024年9月28日
一人芝居だった。作・演出は、ファルク・リヒター(Falk Richter)、出演は、カザフスタン出身のディミトリジ・シャード(Dimitrij Schaad)。戯曲は、自分のこれまでの人生を語りながら、フィクションと現実のはざまに俳優自身とともに観客が入り込んでいくという内容である。ここでもまた映像が使われていた。はじめは後ろの白いアーチ型の背景に、小さく16:9(たぶん)の「主人公の母」に対するインタビューが映し出されるのだが、途中で背景全体に、母がスイミングをする映像が大きく投射される。これが、「主人公の内面における母」の存在の大きさを強く印象づける。また、今回も開演10分前入場、5分押し開演だった。
映像の演出が、これまですべての作品で導入されていた。まだきちんと調べられていないが、映像分野の部門があるのだと思う。そうでなければ、例えばはじめの母に対するインタビューで、カット割りがあったりパンしたりということはできないだろう。日本では自分の経験からして、プロジェクター周りは、なんとなく「舞台監督」か「音響」が担当するみたいなことになっているし、中身の映像の作成もたまたまできる人がいればいいが、素人編集になってしまったりしてしまう。しかし、舞台監督も、音響も、当然「映像」のことは本業ではない。ドイツで観た映像の演出を見る限り、演出ノウハウにかなり蓄積があるような感じがしたので、これは日本で活動するときのためにも、深く検証したほうがいいのかもしれない。ドイツと日本とのあいだに、映像にかんして環境や技術に差があるはずはないからである。
作品内では、はじめ母について語り、母は映像でも出演するが、父のほうは映像では出演しない。自身のセクシャリティについての葛藤を、おそらく父に最後まで理解してもらえなかったことが、深く主人公の心に刻まれてしまい、墓の前で父に自分の心情を吐露するような場面では、ともに涙ぐむ観客も散見された。
今回も、英語字幕がカミシモの上方にそれぞれ設置されていた。少し客席からは高すぎるが、まったく見えないということはなかった。また、客席はアーチ状になっていて、勾配が急になっているためか、前の観客のせいで見えにくいということはあまりなかった。前から4列目の上手端から4席目、二階席もある。さすがに二階席まで満席とはいかなかったようだが、一階席はほぼ埋まっていた。
終演後、たぶん演劇雑誌、Theater Heuteの担当者らしき者が現れて、「Schauspieler des Jahres」(今年の俳優)の賞状みたいなのを渡して、出演のDimitrij Schaadが拍手喝采を浴びていた。Deutsches Theaterを観たときにも感じたが、それに加えて今回はマイクなしだったにもかかわらず、セリフがすごく聞き取りやすかった。「よいドイツ語」ということなのだろうか。
演劇人コンクール2020のときに、小生と同席受賞だった別役実『受付』に出演していた俳優の発語を思い出す。ちょうどそのころ自分は発語でいろいろこねくり回そうと、必死だった時期なので、ふつうにちゃんとセリフが聞き取れることの大切さを思い知らされた上演だった。
来月の「かもめ」も予約した。実はこれが初チェーホフ観劇になる(たぶん?)。そんな輩が、その昔『桜の園』を上演しようとしていたのである。いちおう、National Theater at Home で『桜の園』をストリーミング視聴したことや、『かもめ』も蜷川幸雄演出の映像を一部鑑賞したことはある。チェーホフ、イプセン、シェイクスピアはいずれもそれなりに読んだ作家たちである。いずれも三か月以内にドイツで鑑賞する機会が得られることを願う。
『かもめ』と本作『the Silence』双方のプログラムを購入した。それぞれ3ユーロ。なんとか格闘して作品の理解を深められるようにしたい。そして、来週はいよいよフランスに行く。クラスもB1からB2にレベルアップしてしまう。限界などとうに超えている。あったかごはんとあったかお風呂はまだまだ遠いのに、ドイツはめちゃ寒くなっっていて、吐く息が白い。バス停で冬物のコートを着ているのに、ブルブル震える。これで、9月か…