【2025年】ドイツ・ワーホリ 移動編「ICEに乗る! (ベルリン~ハンブルク)」
ICE(inter-city-express)に乗った。去年は結局乗れず、今年は金がなさすぎるので乗れなかった。しかし、ハンブルクのタリア劇場にニコラス・シュテーマン演出の『ファウスト』を観劇に行く機会を得られ、この距離ならフリックスバスともあまり値段が変わらなくなるようだったので、乗ることにした。長距離の電車に乗るのは好きなのでうれしい。
ベルリンからハンブルクはそれほど遠くない。今回はベルリン中央駅からハンブルク中央駅までで、1時間43分だった。ただ、私はへーノー Hönow からベルリン中央駅まで出るのに1時間かかってしまう。また、ICEもフリックスバスと同様に、料金変動制なので、人気のない時間帯が安い。料金は往復で47ユーロに収まった。宿泊が朝食付きで、8人部屋のドミトリーが25.23ユーロだったので、トータル72ユーロと往復・滞在の費用はかなり抑えられた。行きは、朝6時に起きて、7時に出発、8時過ぎにベルリン中央駅に到着して軽食をとり、8時半にベルリン中央駅からICEに乗る。ギリギリ日帰りできるのだが、作品がボリューミーなので1泊することにした。
ドイツの電車は漏れなく汚かったが、ICEは一見すると清潔であった。しかし、細かいところで、行き届かなさが目立つ。二つあったトイレは、手洗い場の水が、両方とも流れない。日本の清潔さすごいな。あと喫煙車両も喫煙ルームもない。日本の新幹線にはまだあったと思うが、街の喫煙率(ベルリン中心地)にしては意外である。
座席は余分に払えば予約できる。1等席と2等席があって、もちろん2等席である。自由席の場合は、空いているところに座る必要がある。予約席は、座席上の部分の通路側に小さな液晶があって、「ハンブルクまでおるよ」と表示されている。わからなくて間違えた。何も書いていなければ、その座席は空いているということである、知らんけど。
コンバーターを持ってくるのを忘れてしまった。じつはブリュッセルで万国対応のコンバーターを一つ紛失してしまった。出費になるが、ハンブルクで万国対応のものを買おうと思う。近くに電気屋あるかな。怪しい店で買うパターンもある。
↑今日が日曜日であるということをすっかり忘れていた。
まだまだドイツに慣れていない証拠である...
ハンブルク~ベルリン(1泊2日)
・交通費:47ユーロ(ICE、往復、ベルリン中央駅~ハンブルク中央駅、自由席)
・宿泊費:25.23ユーロ(8人部屋ドミトリー、朝食付き)※1
・その他:16ユーロ(ハンブルク美術館、入場料)※2
※1 滞在先リンク:Generator Hamburg
※2 当日現地で購入のレギュラーチケット。調べてみるとオンラインで割引チケットが手に入るようである
そういえば、演劇の「ドイツ語わかるわからん」問題について少し考えた。作品単位でいえば、ルネ・ポレシュの Ja nichts ist ok がいちばんわかったのだが、それでもざっくりとしかわからん感が抜けない。努力不足と言われればそれまでなのだけれども、「ドイツ語わかるわからん」問題は、なんとなく重要なことの気がする。劇場単位でいうなら、ドイツ座 Deutsches Theater がいちばん聞き取りやすく、それ以外は、横並び、ややゴーリキーが早口の作品が多いのもあって「わからん」率が高い。また、興味深いことに、作品のタイプ出で言えば、最もわかるような感覚になるのは、いずれもドイツ座というのもあったが、イェリネクやらサラ・ケインやらポストドラマな戯曲で、次いでダイアログのセリフ、最後に観客に直接訴えかけるアジテーション的に演出されたセリフという順になっている印象がある。
おそらくだけれども、それぞれの文脈への依存度がかかわっているのかもしれない。〈ポストドラマな〉戯曲になればなるほど、セリフ単体の文脈への依存度は減る。セリフを構成する単語自体は簡易なものになることが多い。ダイアログになると、文脈への依存度は増す。これは一見すると、わかりやすくする効果があるのだが、視覚的な描写を意識的に受け取らねばならないので、日本語では無意識で済むはずの思考を「回さねばならない」という負担がかかる。「作品がわかる」ことと、「セリフ(言葉)がわかる」は別問題なのかもしれない。アジテーション的に演出されたものになると、社会的な文脈を共有せねばならない。例えば、日本では石破首相がおにぎりと結びつくという文脈がある。もし、首相役の俳優がおにぎりを食べる場面があったら、明示しなくてもその首相が石破であることを観客は了解するだろう。「恥を知れ!」はセリフだけでもかなり端的に伝わるだろう。こういうのは捉えがたく、辞書にも載っていない。メルケル・ダイヤモンドくらい有名になればwikiにもあるが、そういう諸々がまとまったものは多くないし、すぐ古くなる。unser deutschlandmärchenのなかで「外国人向けのドイツ語の授業」は、たまたま文脈を共有することができたが、これはかなりわかりやすい部類のもので、そうではない、ドイツ人にとっては無意識の下に隠されているような事柄があるものと思われる。そういうものを元手に劇場空間を設計することは、とても大事なことなのだが、私のような unbekannter Ausländer は、観客席からはじきとばされる。まぁ、しかたないのだけれども。自分の考え通りなら、母語話者ではない俳優・演出家を多数擁するゴーリキーが、ドイツ語もわかりやすいはずなのだけれども、ここは矛盾してしまう。母語話者間でわかりやすいということと、非母語話者にとってわかりやすいということには、人が思う以上に距離がある。ホテル時代に何度も経験した。言うまでもなく個人差もあるし、出身国ごとにも、傾向があったりする。もう少しよく観察してみよう。