【ドイツ 演劇】Brechts Gespenster(スーゼ・ヴェヒター『ブレヒトの幽霊』)――2025年3月7日 ベルリナー・アンサンブル Berliner Ensemble

作・演出:スーゼ・ヴェヒター(Suse Wächter)
Suse Wächer / Moritz Ilmer/Martin Klingeberg und Matthias Tripper (Live-Musik)

観劇日:2025年3月7日
初演日:2022年9月21日
上演時間:1時間30分(休憩なし)
会場:

 タイトルだけで即購入した。ブレヒトによって創設されたベルリナー・アンサンブルで、『ブレヒトの幽霊』、しかも人形劇である。観るしかなかった。開場時点で、無数の人形が置かれていて、その人形の多くが明らかに歴史的に有名な人物であることがわかる。すべてがわかったわけではないが、マルクス、ガンディー、毛沢東は見てすぐにわかった。ブレヒトが登場して、ひとしきり語ってから、真っ白の服と肌をしたマルクスの人形が「私は神だ」と言う。コイントスをして、「よし、予想通り、やはり私は神である」とか言っているうちに、色付きのマルクスも現れる。二人のマルクス。「宗教はアヘン」と言ってのけたマルクスが二人いて、一方は神を自称する。この時点でそこそこインテリでないと何が面白いのかよくわからんのだが、客席では笑いが起きていた。

 そもそも「幽霊」というのが、マルクスの『共産党宣言』の冒頭、「ヨーロッパに幽霊が出る-共産主義という幽霊である」に呼応している。パンフレットにも、ドラマトゥルク Bernd Stegemann が「かつてヨーロッパには共産主義という幽霊が徘徊していた」Einst ging in Europa das Gespenst des Kommunismus um.と書いている。

 スーゼ・ヴェヒターの技巧は衝撃的だった。ただ、文楽・人形浄瑠璃とはぜんぜん方向性が違うことも感じられた。文楽では「人形遣い」、「太夫」、「三味線弾き」と完全な分業体制であるが、スーゼ・ヴェヒターらはこのうち「人形遣い」と「太夫」を兼ねる。「三味線弾き」にあたるのは、トランペットやドラムの演奏で、ここはそれぞれ担当者が舞台上にいた。しかし、パフォーマンスのなかでヴェヒターが人形にドラムを叩かせるときには、無理やりといった感じで人形をドラマーの前に置いてドラマーが叩きながら同じ場所で人形もドラムを叩く動きをするという演出だった。冒頭のパフォーマンスが終わると、観客からのリクエストされた人形を遣ってパフォーマンスをするという段があった。毛沢東が気になるところだったが、ドイツ語の発音がわからなかったし、勇気が出なかった。次機会があれば何か言ってみたい。また、それ以外にも観客の一人を舞台に呼んで人形を一緒に動かすという場面もあった。演劇で観客を舞台に上げたり、観客に発言を促したりする演出は、日本だとやや躊躇する演出なのだが、ベルリンでは結構な頻度で、見る。日本の若者のあいだだと、芸人の粗品が観客にマイクを回してコミュニケーションを取るというのを、最近よくYoutube で目にする。しかし、それは彼の芸風と客層に依存する部分が大きいパフォーマンスで、この客席の感じとはちょっと違う。

 はじめて文楽を観に行ったときには、最前列をとってとてもしんどかったので、ベルリナー・アンサンブルでは、8列目というやや後ろに下がった場所を選んだのだが、こちらは最前列のほうがよかったかもしれない。文楽は、完全分業体制であるだけでなく、そもそもスタッフであってもそう簡単に舞台に上がることはできない。ある舞台監督が手伝いに入ったことがあると言っていたが、しかしその日限りのアルバイトでは舞台上には入らせてもらえなかったそうである。悪いこととは言わないのだが、日本の芸能の排他性は無視できない要素である。インテリのアーティストは現代芸術に飽きた頃、急に伝統芸能にはまりだす。しかし、こうした排他性や、あるいは能が武士の芸術であり、それはつまり「人殺し」を念頭に置いていることなど、切っても切り離せない根っこの部分を捨象しがちである。

 文楽の人形は、ある程度形式があって、実際見ると大きいことがわかる。ヴェヒターの人形の大きさは、等身大のものから1メートル程度のものまでいろいろである。ぜんぶ自分で作ってるらしい。歌も演じ分けも、ふつうにすげーと思った。なお、人形遣いは、ヴェヒター一人ではなかったので、自由な演出もできる。例えば、歌を歌いながら幽霊がカミテの扉から出てすぐのありえない間で、シモテの扉から同じ人形が飛び出してくる。今回は「幽霊」というタイトルなのでこういうちょっとホラー・アトラクションめいた演出も当然なのだが、ほかではどのような演出をしているのか、気になるところである。

 私が文楽に関心を持ったのは、「人形劇」そのものに感動し、それをやってみたいと思ったからではない。文楽が歌舞伎と相互に影響を与え合った発展の流れのなかで、歌舞伎がリアルな人間の動きから離れていったという歴史に関心を持ったのである。一時は、「操り段々流行して歌舞伎は無が如し」と言われたらしい。これは、文化の中心が、演劇でもパフォーミング・アーツでもなく、アニメーションに移っている現在の日本の状況に似ているように思う。「人間からどうやって離れるか」は『お國と五平』の演出における一つの大事な意識だった。

 しかし、本作は、数百年かけて形成された文楽ほどに様式化されているようには思えなかった。結局のところ、ヴェヒターらの身体とその独創性がその根源にある。彼女は2012年に京都のゲーテ・インスティテュートに3か月程度滞在しているようで、その時に文楽から作品のインスピレーションを得たらしい。文楽に対して、具体的にどういう印象を持ったのか、資料があるかもしれない。私が「文楽とは大きく異なる」と感じたということは、私にない視点で彼女は文楽を捉えたということである。なんとか探してみよう。