【ドイツ 演劇】Der nackte Wahnsinn(マイケル・フレイン(Michael Frayn)作『NOISES OFF』)――2024年3月4日 ベルリナー・アンサンブル Berliner Ensemble

作:Michael Frayn マイケル・フレイン
演出:Oliver Reese オリバー・リース
ドラマトゥルク Dramaturgie :ヨハネス・ノルティング
観劇日:2025年03月04日
初演日:2024年10月12日
会場:Grosses Haus
上演時間:3時間(休憩あり)

 二回目のベルリナー・アンサンブル。先日は二階席からの観劇だったせいか、あまり楽しむことができなかった。なお、二階席は自分の席がどこなのか、一見さんにはとてもわかりにくい。誰かと一緒に行くか、ドイツ語か英語でスタッフとコミュニケーションが取れるようにしておいたほうがいい。一度座ったが、自信がなく、念のため場内のスタッフに確認する。場内のスタッフはいちど「ここですね」と言ったあと、「あ、ごめん、ここちゃうわ、こっちやったわ」となっていた。トラブルを未然に避けることができてよかった。1階席は Reihe (列)と、Platz (席)で簡単に場所がわかった。

 さて、ベルリナー・アンサンブルでブレヒトの上演を観劇してお次は、マイケル・フレインである。今回は一階席で、13列目と比較的後方であったが、十分に楽しめる距離だった。ドイツの(たぶん日本以外の)観客は、素直に笑ったり反応したり、「シャイセ…」とつぶやいたりするので、ドイツ語の壁に阻まれても、このシーンがどういうシーンなのか推測できる。
 演劇の現場を舞台とした演劇といういわゆる自己言及ものである。はじめに中年の女性が登場して、電話をとってセリフを読む。途中、シュトップ Stopp! と客席から演出家が止める。いろいろ動きに指示があって、「そんなこと言われてたかしら?」と俳優が尋ねると、「ごめん、言ってない。今言った」と返したりする。
 「今日初日なんやで…」とこの一言で、この物語のおおまかな軸がわかる。「本番直前なのに、ぜんぜん準備できてない、さあどうしよう」がこの劇の基本構造である。白い明かりの「作業灯」が消灯し(四角く区切ったソースフォーかなんかか)、アンバー系の明かりになるとそれが「劇中」であることが明示される。俳優が出トチったりすることで、劇が崩れて、それを演出家がまた止めて、を序盤は繰り返す。セリフをぜんぜん覚えられていない老俳優、あちこち走り回る演出助手、空くべき扉が空かないのでつなぎを着た美術スタッフが呼ばれたりする。身に覚えがあるような場面もちょこちょこあって、第一幕はふつうに楽しめた。
 また、イギリスでの上演についての投稿を読んで、言葉がわからないと理解が厳しいかもしれないとあったが、むしろ同じシーン、セリフを繰り返したりするので、ちょっと言葉がわかれば何が前と変わったのか、あるいは「変えようとしているのか/変わってしまったのか」が見えてくる。
 最もわかりやすかったのは、赤い鞄があるとかないとかの場面。Niemand hier! (誰もいない)と確認したはずなのに、登場人物の一人がないはずの誰かの鞄が置かれているのを発見する。Tasche..... (鞄)と何回も言う。それを同伴してきた男に伝えようとして、男を鞄がある二階の扉の前に連れて行くのだが、目を離している隙に鞄は回収されており、keine Tasche.... と言う。
 こういうシーンがやりたいというのが、第一幕で明示されているのだが、その後の第三幕では鞄ではなくスカーフが間違えて置かれている。「俳優が知らなくて、観客だけが知っている事実をつくること」はどの国でも共通のコメディの手法らしい。
 舞台は、上段に4つの扉、下段にも4つの扉があって、そこから激しく俳優が出入りする。物語が進むと、窓からも出入りするようにもなる。休憩明けの第二幕では舞台は裏側を観客に見せている。Bitte Ruhe! (お静かに!)のランプが点灯し、第一幕の冒頭の場面が向こう側で演じられていることがわかる。つまり、本番がはじまったということである。音声(録音と思われる)がスピーカーから流れて来て、第一幕の記憶が思い起こされる。しずかにしなくてはならないのに、「いたずら」や妨害が行われたり、怒って舞台の途中で帰ろうとする女性の俳優を説得したりするのだが、登場人物たちはこれらを小さな声でやらなくてはならない。つまり、視覚的に表現することが増える。例えば、舞台の途中で帰ろうとする俳優は、コートとサングラスとスウェットという服装を見ればその意味がわかるようになっている。だからあんまり言葉がわからなくても、状況を十分に理解することができる。なお、舞台が裏返しになったとき、いや、こんなん見切れるだろと思ったが、まあそこはごちゃごちゃ言うべきポイントではないのかもしれない。
 幕間狂言のような演出があったあと、第三幕は、また舞台が表向きになっている。幕間狂言では、俳優が Ich liebe Theater! と言うセリフが最後のほうにあって、「ああ、なんかこの戯曲読んでみたいな」と思うにいたった。しかし第一幕の舞台とは明らかに状況が変わっている。壁が壊れたり(俳優が壁につっこんで、つきやぶれたりもする)、扉のいくつかも裏返しになっていたり、とてもみすぼらしい。どんどん舞台はめちゃくちゃになっていく。ギミックがどうなっているか気になるところだが、キッカケに合わせてガタンッと装飾が外れたりすることもある。
 今回は戯曲が力が強すぎて、演出を判定するのは難しいかもしれない。改変の程度を確認しないことには、演出を評価できない。今回は、劇作家としての勉強ということにしておく。

 なお、ロンドンでの初演は1982年とのこと。同『コペンハーゲン』の1998年よりも前のことである。作家を一人ある程度理解するには、最低3作(初期作、出世作、最新作or晩年作)を読みたいのだが、これで一つ埋めたことにしよう。現代作家の翻訳は、大学に所属していないと手に入れる難易度がグッと上がる。ごっそり買うしかねえ。