劇団辞めてドイツ行く(45)屋上を警戒せよ/オスターマイアー演出『民衆の敵』シャウビューネ劇場――2025年2月17日

屋上を警戒せよ

 語学学校の寮に到着。いろいろわかってるので説明は省略していいよと伝える。14日にベルリン入りしてから数日間は別の場所に泊まらせてもらったのだが、ポツダム広場周りとは全く雰囲気が違ってそれだけで面白かった。もっと外出するべきだった。むしろ、今いるあたりはいい場所ではあるが、毒に欠けるのかもしれない。

 今回は準備万端なので、無用なストレスが少なく済んでいる。想定外だったことが一つある。歩いて3分のケバブ屋が潰れていた。今後は10分以上歩いていかなければケバブを食べることができない。これは巨大なマイナスであり、大問題だ。近所の行きつけのケバブ屋を見つけるというタスクが最重要問題として割り込んできた。もちろん、ケバブ目的に遠出することもやぶさかでないのだが、日常用のケバブがあるからこそ、わざわざ遠出する非日常感も増すというわけである。非常に困ったことになった。

 運び屋の仕事について。ブツの受け渡しは無事完了した。この投稿が生存というオチをつけてしまっているわけであるが、今後の反省のために記録をしておく。そもそも初手から間違えてしまったのだが、受け渡し場所を向こうに指定させてしまった。これではいざというときの逃走経路の確保が難しい。指定された場所は韓国料理屋。鍋とかで戦うイメージを、ジャッキー・チェンの映画などで予習しておく。到着すると、やけに見晴らしが良い場所である。少し遅れると言われたのだが、もしかしたらあの屋上から狙ってきて、店に入ることもなく済ませるのかもしれないなどと考え、なるべくジッとしないでいるために立ったりしゃがんだりウロウロしたりする。結論をいえば、用済みとはならなかった。ブツは、現在秘密裡に進めているビジネスに利用するらしい。いろいろな話をしてもらったが、今その話のなかに暗号がないか確認中である。

オスターマイアー演出、イプセン『民衆の敵』

 その前の日。野村さんがシャウビューネ劇場にオスターマイアー演出のイプセン『民衆の敵』Ein Volksfeind を観劇するというので、自分も当日券狙いでシャウビューネ劇場に同行した。開演1時間前から当日券が出れば、出た分の人数だけ買うことができる。5人目くらいだった。初演は2012年9月8日だというのに、当日券を買いに、10人以上が並ぶという事実に驚きを隠せない。そして、私の手前2人目ほどで、当日券完売と言われた。無念、「先に宿に戻ろうかと思う」と話していると、見知らぬ女性に「チケットいる?」と言われた。なんかの都合で余ったらしい。前から2列目、中央ややカミテよりのすごいいい席で、「60ユーロ」と言われた。1ユーロ160円とすると、約1万円である。数秒迷ったが、買うことにした。学生料金だと、じつはいい席をとることができない。このような機会はもうないかもしれないと思い、交渉成立である。

 黒が基調の舞台。チョークで随所に落書きがされているが、ただの落書きではなく、「ここは子供部屋」だとか「ストックマンの家」だとか書いてあって、場面が変わるときに俳優が、„Am nächsten Tag“ (次の日)とか書く。いい意味で、少しバカらしい。演出は全体的に、Hamlet よりもポップだった。マイクが設置してあって、エレキギターとサンプラーによるドラムとともに音楽。シーンの切れ目、場面転換では、音楽が流れるなかで、俳優が椅子や机を動かしたりする。

 町民集会のシーンまでは終始アンバー系の明かりで統一されている。若干ここに違和感を覚えていたのだが、「町民集会」の場面で白い明かりに変わり、それは客席まで照らす。ここまで英語字幕付きだったが、町民集会には観客も意見を言って参加する恰好になり、字幕には何も表示されなくなる。トーマス・ストックマンが〈民衆の敵〉と認定されたとき、客席の両端からカラーボールが投げ込まれる。黒い基調の舞台は当然、どんどん汚れていく。実はこの前の場面転換で、白いペンキをローラーにつけて壁に塗りたくられていく。だから、白がやけに強調された舞台空間になっている。そこにカラーボールが投げ込まれるので、その色が余計に目立つ。最前列には、カラーボールが投げ込まれるシーンのときに観客が汚れないようにするための白い横長の布がおいてあって、ドラマトゥルクと思しき女子が開演前、最前列の観客に一言何か添えていたのを見ていた。このことだったのか!

 「町民集会」の場面のあと、めちゃくちゃになった舞台を雑巾で拭くという動きがあるのだが、「着せられた汚名を回復する」ことがいかに途方もないか、ということが示されているような印象があった。SNS時代になるとこのことはよりリアリティをもって感じられる。今やわれわれは、一般市民ですら「汚名を着せられる」危険を含んだ社会に住んでいる。

 ところで、オスターマイ「ヤー」なのか、オスターマイ「アー」なのかちょこちょこ表記ゆれがあってややこしい。wikipedia だと、トーマス・オスターマイアーなので、彼はこれを基準に統一することができるのだが、ある論文ではオスターマイヤー表記があったし、wikiでも、ドイツのスケート選手で同じスペルで、ガルネット・オスターマイ「ヤー」という記事がある。SEO対策とか考えるなら、なんらかの基準に頼りたい。いちおう、先輩諸氏の記述を参照することにしているがそれが見当たらない場合は、SEO上意味がないのかもしれないが、文字数が無駄に増えるのを諦めてアルファベットも併記するしかない。

 もうちょっとドイツ語ができれば、自分も町民集会に参加できたのに、と悔しかった。俳優としての自分は声量だけが取り柄なので、Saal A でもマイク無しで十分響かせられる。もう一回観劇したい。ドイツはもうすぐ選挙なのだが、結果次第ではオスターマイヤー作の再演作が増えるかもしれない。どういうことかというと、すでにベルリン市の文化予算は削られてしまう予定らしいのだが、周知のとおり、総選挙で極右が躍進すると、この動きが加速することが見込まれるからである。となると、どちらかといえば予算のかからない再演作の上演が増えるということである。

 再演できるような作品が豊富にあるだけいいなと思う。シャウビューネ劇場のラインナップを見ると、なかなかトーマス・オスターマイアー祭りである。トーマスぼろもうけやがな(どういうお金の流れなのかは知らん)。

 1月、2月と生活が英語中心になってしまった。ドイツ語、だいぶ忘れた。「忘れる」というのは仕方がないことであり、むしろこれを前提としなければメンタルがやられる。ちょっと話したり、読んだりしてみると、幸い文法の基礎など大事なことは忘れずにいるようなので、根幹を「慣れ」させて、馴染ませて、枝葉をつけていく作業に入らねばならない。英語もそうなのだが、思っていたよりは、早いスピードで元のレベルに戻るものである。やっていくと、できない部分や細かいので後回しにした部分を思い出す。仕上げにかからねば。