学生劇団/学生演劇について
演劇集団Qが活動を終了するというニュースが入ってきた。ショックで寝込んでしまいそうな勢いである。発表されるまでにいろいろあったのだろう。京都にいて、京都舞台芸術協会なんかやっていて、過去には立命館大学の西一風や、京都女子大学のS.F.Pなど前例もあったわけで、何かできることがあったのかもしれないが、頼り甲斐のない先輩であったことを申し訳なく思う。「オーバーホール」(新町でしか通じない)とかどうなるのかなあ。
京都の舞台芸術は、学生劇団/学生演劇の豊かな土壌のうえにあることは疑いようがない。それは日本全体の演劇でも同じなのだが、京都はとくにそれが顕著なように思う。これだという理由はわからないが、ウリゲイくらいしか学科で舞台芸術を学べる大学がない一方で、ちょうどよい範囲に大学と小劇場がまとまって存在していることなどが考えられる。
所謂「公認団体」であれば、それなりに整備された稽古場と劇場がセットで確保されていて、叩き場もあることが多く、それらは「学費に含まれているので〈実質無料〉」である。さらに、人件費はかからず、そのうえでみんなでお金を出し合って、揉めたりしながら、公演をつくる(俳優で2万/人、スタッフで5000円/人とかだった)。大学の学部のように、ウザい先生もいない。この徹底的に自由な環境で、よいものが生まれないはずがない。
学生の頃、アトリエ劇研や旧・立誠小学校、芸術センター、KAIKAなどに行って学生劇団ではない演劇を観に行ったが、一つも当時の学生演劇よりも面白いものがなかった。そのせいで今日までほとんどの先輩を舐め腐ったままなのだが、考えてみれば、設備費・人件費無料なのだから、多少の技術の拙さなど余裕で補えるに決まっていたのである。
ただし、われわれが土壌とするところの学生劇団/学生演劇が土壌とするところは、そもそも不安定なもののうえにあったことを省みておくべきである。演劇に取り組んでみたくて、しかしどこかの大学の舞台芸術学科には入らなかったと言う人がつねにたくさんいて、毎年新入生が各大学の学生劇団に10人程度入ってくるのならば、3年足らずの短いスパンの激しい新陳代謝にも耐えられるだろう。しかし、毎年10人以上の新入生が入る学生劇団なんて今、京都に限らず日本全体でどれくらいあるのだろうか。
高校生の時点ですでに「本気で演劇に強烈な関心がある」という人は、学生劇団を選ばない。演劇が学科でしっかり学べる大学に入るだろう。学生劇団をあえて選ぶ人たちというのは、ボリュームゾーンであり、セミコア層である。学生劇団が徐々に消えつつあり、学生演劇が盛んでなくなっているということは、この部分が薄まってきていることの顕れと考えることもできる。そうだとするならば、もっとも消えやすい層ということになる。無数に、かつライトに楽しめる娯楽がある現代、身体を伴ったヘビーな体験しかもたらしえない演劇から若者の足が遠のくのは当然のことなのかもしれない。
また、稽古場や劇場の利用料が「学費に含まれているので〈実質無料〉」という点や「人件費なし、むしろみんなでお金出し合う」という点も黙殺されがちだが、土壌が不安定になりやすい現実に直結している。「学費に含まれているので〈実質無料〉」という点も、それはつまり大学の方針によって如何様にでもされやすいということを意味するし、「人件費なし、むしろみんなでお金を出し合う」という点でも、ある日突然「こんなにお金と時間をかけて私は何をしているのだろう」と悟った瞬間に何かが音を立てて崩れていった人は一人や二人ではないだろう。
何もかも豊かだった大学という空間のなかに、演劇がたまたま場所を与えてもらっていた。そこはとにかく自由で、「なんとなく演劇をはじめた人」の受け皿になっていて、そんな人たちが時折「本気で演劇に強烈な関心があった人」よりもよい作品を生み出したり、よい作家になったりしていた。ところが、趣味の多様化と少子化のダブルパンチで規模の縮小を余儀なくされたのかもしれない。
もちろん、そんなことは少し考えれば誰にでもわかることで、学生だった頃にはすでに私も同じように考えていた。結果的には何もかもがマンパワー前提になるし、真剣に考えれば考えるほど、いろいろ無理なんじゃないかということが見えてきたりするし、引退した途端にあのときの自分は跡形もなく消え失せる。
あるいは、消え失せることがいいことだと思っていた節がある。引退公演、卒業公演のあとにいつまでも居座り続けて影響力を行使しようとする人たちのことを「老害」と蔑む文化がある(あった?)。だいたいそういう人たちは、引退後、卒業後に、新しい居場所を持つことができなかったろくでなしだったりするので、後輩としても願い下げなわけである。だから、終わった後はサッと去って、たまに公演を観に来るくらいの距離感がベストだということになる。こういう文化は、活発な新陳代謝をもたらすメリットがあるとともに、技術の継承が可及的速やかになされる必要が出てくるというデメリットがある。これについてはしかし、つねにたくさん新入生が入団することを前提としているので、学生劇団に入りたいという人が減れば、メリットは小さくなり、デメリットは大きくなる。
だから、ということでもないのだけれども、あえてもうちょっと先輩風ふかせて公演を観に行くくらいはしたほうがいい気がしてきた。そういえば、ある日卒業公演に突然、まだまったく面識のなかった田辺さんが現れたことをよく覚えている。その後別の場で、失礼な振る舞いをしてしまったりしたのけれども、なんだかんだ今ではだいぶよくしてもらっていて、とりあえずそういうキッカケをつくっていく努力をこちらから少しでもやっていこうと思った。
THEATRE E9 KYOTO でのマキノノゾミ×犀の角「初級革命講座飛龍伝」のとき、制作の荒井洋文さんと、永澤萌絵さんが第三劇場出身ということで、私に連絡をとってくれた。何回会っても私の顔と名前を憶えてくれないが、マキノさんも第三劇場出身である。こういう交流がちょっとでもあると、ふつうに自分自身もがんばれるような気がした。かくいう私も「なんとなく演劇をはじめた人」の一人である。それなのにダラダラこんなことになってしまった。なお、大学で演劇をやるのも、卒業後も続けるのもまったくおススメしない。春から学生の皆様におかれましては、くれぐれも、勉強してバイトして恋愛して就活していただくようお祈り申し上げたい。


