【人間座『桜の園』】稽古のやり方/キッカケ表・動画――2025年10月23日

人間座第70回公演『桜の園』(2025/12/6-7)京都府立文芸会館

神田真直 予約ページ: https://ticket.corich.jp/apply/384810/014/

キッカケ表を作成する(仕上げ)

 音響と照明のキッカケ表(キューシート)を作った。不勉強で現場にも出た経験がないので、他の演出家の仕事の進め方をまったくと言っていいほど知らないのだが、演出が自分でキューシート作ってくることはあまりないらしい。みんな打ち合わせのときは、何をもとに各スタッフに話すのだろうか。テキトーなこと(文学的なこと、クリエイティブなこと、芸術的なこと)を言って、煙に巻くのだろうか。

 しかし、自分にとってこのキッカケ表を作る作業は、諸々の仕上げとしてとても重要なもので、劇場がデカくなったとしても、よほど専門性が高まってきたりしない限り、演出のやるべきことリストから外れることはないだろう。もちろん、私は音響家でも照明家でもないわけだから、最終的にはそれぞれにアップグレードしてほしいところであるのだが、人によっては指定が細かいように感じられたり、自由度が低いように思われたりするかもしれないので、それぞれと初仕事のときには少し慎重になりはする。こんなふうにして、学生演劇の延長線上でやってしまうからどうにも我流が抜けない。できれば修行とかしたいのだが、それはそれでめんどくさいので、ズルズルいろいろなやり方を独自に開発する羽目になる。

稽古動画を撮影する(毎日)

 稽古は、はじめから終わりまですべて録画している(休憩時間は除く)。翌日にはYouTubeに限定公開(リンクを知っている人だけが視聴できる)でアップロードして共有している。視聴はまったく強制していないのだが、思っていたより、とくに稽古場に来れないスタッフたちが観てくれているようで、それは視聴者数からある程度確認できる。稽古場の「様子がわかる」というのがかなり良いらしい。演出助手の負担も軽減できるだろう。

 みなにいつも周知しているが、稽古の全部録画には、ハラスメント対策という目的もある。むろん、撮影自体がハラスメントを直接的に防止するものでもなければ、撮られていることによる抑止が働くようにも思えないのだけれども(すぐ慣れてしまう)、何かあったときにかなり詳細な稽古の記録映像があることは、客観的な状況整理を助けるものになるだろう。

 ただし、映像の取り扱いには注意が必要である、という課題が残る。ふつうにスマホで撮影しているので気がつかないうちにバッテリーが無くなって、録画が切れてしまうこともあるし、いまは結局ハラスメント加害者になりやすい立場の演出家である私が管理している。都合の悪い映像があれば紛失したことにできてしまう。それに、この記録があったとして誰にどう見せることが正しい対処なのか、あるいは事前に肖像権やら管理方法やら書面で取り決めをしておくべきなのか、だとか、きちんと検討していくと様々なことをクリアしなければならないということがわかる。今のところは、まだ相互の信頼や裁量に依存せざるをえない。

 それでも、メリットは大きい。単純な話、私自身が自分の稽古での話し方だとか振る舞いをよりよいものにしていくためのよい材料にもなっているし、もし50年後、100年後もこの映像が見られる状況なのだとしたら、かなり貴重な資料といえる。末端の演出家によるものだったとしても、100年前の稽古がどんなものだったかを検証する可能性を作っておくことには意味があると思う。演劇というものが、どのように上演にまでいたるのか。かりに素晴らしい演技があったとして、それは演出家の引き出す力によるものだったのか、あるいは演出家は役立たずで、すべて俳優個人の技量によるものだったのかを、もしかすると客観的に検証することができるようになるかもしれないわけである。

 例えば、『桜の園』は音や明かりの指定がト書きに多く、俳優を中心に見てしまわざるをえない稽古場ではそれらをじっくり考えることができない。そんななかに稽古の動画があると、ある場面の音響を考えるためだけに何回もセリフを読ませる、シーンを繰り返させることが負担なくできてしまうので、とても楽である。人間の記憶力や想像力で補うには限界があり、このキッカケ表も、稽古動画を参考にしながらあれこれ考えて作成した。

 そうしながら、ベルリンのテアタートレッフェンで観劇した、ピナ・バウシュの Kontakthof Echoes of '78 を思い出していた。もちろん私の撮ったものが、やがてあんなふうになるとは思えないが、とりあえず、何でも鮮明な映像で残せる時代に生まれたのだから、ガンガン記録していったほうがよいだろう、という楽観的な姿勢である。できれば映像撮影用のスマホを持ったほうがよさそうなのだが、さすがにそこまでの余力はない。2000円弱のスマホ用三脚カメラスタンドが限度である。しかし、その程度の工夫だけでも、記録映像としてそれなりに積み重なっているので、もしかしたら何かに使えるかもと考え始めている。先に挙げたような諸々の問題点はなんとか方々に連絡をしてみてクリアするとして、私も俳優たちも、撮影されていることをもはやあまり意識していないからこそ、創作の本質だとか、そういうものを浮かび上がらせることが可能になるのかもしれない。もう一回観たいな、Kontakthof。