【ドイツ 演劇】Die Dreigroschenoper(ブレヒト『三文オペラ』)――2025年6月27日 ベルリナー・アンサンブル Berliner Ensemble

作:ベルトルト・ブレヒト
音楽:クルト・ヴァイル
共同作業(Mitarbeit):エリザベス・ハウプトマン
演出:バリー・コスキー Barrie Kosky

初演日:2021年8月13日
観劇日:2025年6月27日

 1949年、ベルトルト・ブレヒトがベルリナー・アンサンブルを結成した、という話は調べればすぐわかることなのだが、ベルリナー・アンサンブルが本拠地とする劇場には、また別の歴史がある。現在ベルリナー・アンサンブルが本拠地とする、シッフバウアーダム劇場(Theater am Schiffbauerdamm)は Schiff(船)-bauer(建てる(者)) は、「造船」で、damm は、堤防(ダム)のほかに、ドイツ北部では車道という意味らしい。フリードリヒ通り駅を降りると、シュプレー川をはさんで向こう側に、ベルリナー・アンサンブルのピンが見える。この劇場は、1892年11月に開館した。ベルリナー・アンサンブルがこの劇場に移転してきたのは、1954年のことである。

 「ベルリナー・アンサンブルに行く」と誰かが言って、「どこ?」という質問は基本的には出ない。一方、日本では「チェルフィッチュに行く」とか「NODA・MAPに行く」とか言うと、情報が共有されていなければ「どこ?」ということになるし、どちらかといえば、「チェルフィッチュが来る」とか「NODA・MAPが来る」といった表現になることが多いだろう。

 日本と違って、劇場とアンサンブル(劇団)が不可分なもののように感じられる。しかし、実際に行ってみれば、劇場は、劇団の歴史よりも明らかに古い建造物であることが感じられる。マクシム・ゴーリキー劇場がある、ジング・アカデミーは、1827年にコンサートホールとしてオープンしたらしく、1848年のプロイセン国民議会の会場だった。

 どうしてここで、建築物としての劇場の話をしているのかというと、ベルリナー・アンサンブルに行ったとき、聞いていたベルトルト・ブレヒトとのイメージとギャップがあったからである。ギリシャ神話か何か知らないが、荘厳な壁画や彫刻といった装飾が散りばめられていて、椅子のクッションは赤く、貴族など特別な階級のものが招待されそうなブースもある。ブレヒトというと、そういう豪華絢爛を最も嫌うタイプの作家であるというイメージを持っていた自分は、「思っていたのと違うぞ! ブレヒト!」と感じていた。しかし、戦争はあったにしても、日本のように地震ですぐ建物が壊れるわけではないドイツである。建物と劇団(アンサンブル)は分けて考える癖をつけなければならない。

 2月に『屠殺場の聖ヨハンナ』を観たが、二階席のカミテの端っこだったので、十分な「観劇体験」を得ることはできなかった。ようやくここでちゃんとブレヒトを観ることができる。

 舞台には、黒い「すだれ」が下りていて向こうの様子を伺うことができない。顔だけが飛び出してきて、あの歌を歌う。戯曲をちゃんとやってくれるタイプの演出でよかった。字幕がないと何もわからないということはさすがにないが、字幕はかなり理解を助けてくれるので、あったほうがいい。1階席10列目14番(やや後方、ほぼ中央)で字幕は見やすかった。学生料金で9ユーロ。ベスト・プレイスかつベスト・プライスかもしれない。

 すだれが上がると、ジャングルジムが出てくる。動けるタイプの俳優ならこの美術はとても効果的である。ある場所では檻のように、またある場所では家族の食卓、壁を隔てた部屋、といろいろな場所を見立てることができる。また、劇場には奥行があるので、中盤に入るとジャングルジムは後方に下がっていって、また別の風景になる。美術の色合いは黒が基調で、照明や衣装とはよいバランスを保っていたように思う。それにしても、ベルリナー・アンサンブルは客席側の装飾が派手すぎて、舞台がシンプルに見える効果がある。ブレヒトの考え方と関係があるのかもしれないと思ったが、ベルリナー・アンサンブルがこの劇場に移転してきたのは、晩年の1954年のことなのでブレヒト自身と無関係だろう。しかし、観客としては違うかもしれない。シッフバウアーダム劇場が、後続の人々のブレヒト理解に無意識に影響を与えた可能性について、文献などを探してみよう。

 休憩より少し前、メッキ―役の俳優が、ソロを歌ったあと、観客にしつこく拍手と称賛をを求めるという演出があった。かりに演出だったとしても、俳優が観客を巻き込んでいくというやり方はドイツの演劇でよく観てきた。このようなスタイルは、レパートリー制で圧倒的な場数を俳優に踏ませるからこそ可能なのかもしれない。俳優のあり方については、しかし、休憩中に、私はドイツにきてたいへん大きな衝撃を受けることになるのだが、それについては別の記事に書いた。よければそちらも参照してほしい。

 滞在期間中に、ブレヒト『三文オペラ』、ゲーテ『ファウスト』、シラー『群盗』と、ドイツ劇文学に欠かせない三人のそれぞれの代表作を観劇することができてよかった。ただ、いずれも日本語訳はあるのに、あまり読み込めていなかったために、何が新しいのだとか、何が挑発的なのかといったことにまで考えを及ばせることができなかったことは認めねばならない。むしろ言葉がわからなくても、いちどしっかり読み込んでいるだけでかなり印象は深まったのではないかと推測される。オースターマイアー演出の『ハムレット』や『かもめ』は、その点で言うと、「ああ、彼はこう演出するのか」と腑に落ちるような瞬間がいくつもあった。そういえば、最初のドイツ劇文学は三作、いずれも戯曲研究会で扱わなかったものである。とりあえず、誰かと声に出して読む機会を作ったほうがいいのかもいれない。カフカも『変身』くらいしか知らなかったのだが、プログラムの様子を見つつ、このあたりを10作程度読んでいこう。