【ドイツ 演劇】Medea(エウリピデス作、ミヒャエル・タルハイマー演出『メディア』)――2025年6月14日 ベルリナー・アンサンブル Berliner Ensemble
作:エウリピデス Euripides
演出:ミヒャエル・タルハイマー Michael Thalheimer
観劇日:2025年6月14日
初演日:2012年4月14日
※テアタートレッフェン2013に招聘
オーソドックスな戯曲の演出作が観たいのなら、ここ最近のベルリナー・アンサンブルはそういうレパートリーが多く用意されている。先月は、ヤスミナ・レザ『三つの人生のヴァージョン』、3月にはマイケル・フレイン『Noises Off!』、2月にはブレヒト『屠殺場の聖ヨハンナ』である。次には同じくブレヒトの『三文オペラ』、そして立見席になってしまったが、ベケット『ゴドーを待ちながら』を予約してある。
『メディア』については、シャウビューネのフェスティバル、FINDで、ミロ・ラウによる『メディアの子どもたち』(Medea’s Kinderen)を観ていたのでやや前知識があった。ギリシャ劇をもとにした作品を観るたびに、〈教養〉とは何だろうと思う。保守的な人からすれば、アニメで観たメディアの知識は〈教養〉には当たらないだろう。アジア圏で育ったので、ギリシャ劇を知らないのは仕方がない。そうだとしても、日本でも〈教養〉があるといえるような知識人層ではない。『平家物語』も、『源氏物語』も、『万葉集』もググらないとよくわからない。この年齢になってから触れたものは、徹底して限定的に定義するならば、〈教養〉とは言えないような気がする。あるいは、「〈教養〉とはマウントをとるためのもの」という私の定義そのものが、私の「教養」のなさを露呈させる感性なのかもしれない。
ほどほどにしか勉強しなかった時間はもう帰ってこない。ググってウィキれるだけ、まだかつてよりは〈教養〉なるものに抵抗できる可能性のある時代に生まれたことを喜ぶよりほかないだろう。
ベルリナー・アンサンブルはとても豪勢な劇場である。いつ来ても客席の装飾に圧倒される。その一方で演出作の外観は、シンプルな色彩ものが多い。あるいは、この客席のせいで、作品の色味がかえって強調されるともいえる。本作の舞台は、はじめ、大きな壁があって、その上にメディアがいる。メディアが置かれている状況がわかる。下段に登場する別の登場人物との位置関係がそのまま心理的な関係を表す。外国人からしてみれば、このように構図で表現してもらったほうがわかりやすい。そのせいで、良し悪しの判断にバイアスがかかっていることは否めない。言語を越えて活動するのならば、言語表現より視覚表現のほうが汎用性が高い。言葉のやりとりで積み重ねていくような会話劇よりも、ポレシュやイェリネクのようなポストドラマ戯曲のほうが、かえって心をうつことがあるのかもしれない。
位置関係や照明でできた大きな影を使った演出はお金や手間がかからないので、私好みであった。後半、舞台が前進してくるだけで大きく印象が変わり、子どもの親に対する目線のような見え方を観客に与える。よく言われることだが、ヨーロッパの劇場では、その奥行きをふんだんに使うものが多い。どちらかといえば、最後に幕などの背景が無くなって、「世界が広がる」ような演出が多かったが、逆に迫りくるというものもある。演出家タルハイマーの手つきに関心が沸いた。機会があれば別の作品も観たいと思う。