劇団辞めてドイツ行く(56)食費と分断――2025年5月25日
ベルリンが日本より〈優れている〉点など、劇場とケバブくらいのものだというふうに思っていたが、やや視点も深まってきて、また別の部分が見えてきた。
ベルリン(ノイケルン)のスーパーの野菜は安い。今月、さまざまな事情から金欠状態の私とNは、基本的には自炊している(というかほぼNが作っていて、私は洗い物担当)のだが、それほどひもじい食生活でもないのに今月の食費は、二人合わせて100ユーロ(16,000円)を割る見込みである。二人で自炊していることによるスケールメリットもあるのだろうが、それでも二人で100ユーロ、一人頭50ユーロは安い(きちんと精算した)。昨日ここまでを振り返っていろいろ話し合ってみたところ、もはや食べ過ぎなのではないかという域に達している。今日はお互い食べる量を少し控えることにした。
もちろん、日本と何でもかんでも同じようにはいかない。チンゲン菜はよく陳列されてあるのをみるのに、ほうれん草と出会うことは少ないように感じる。玉ねぎ、じゃがいもは安い。また今イスラム系の住民が多いノイケルンに住んでいるためなのかもしれないが、豚肉がやや入手困難な代物となっている。アジア的な調味料は案外、Vihn-Loi はじめアジア・スーパーにいけば(どれもやや高額だが)、手に入れることができる。米もじつはそこそこ食べている。さすがに購入しなかったが、Vihn-Loi には「あきたこまち」(2キロで15.50ユーロ)・「こしひかり」(2キロで16.50ユーロ)などの有名な米ブランドも置いてあった。また、パンは日本より安く、コーヒーは日本と同じかそれより安いという体感がある。近所の喫茶店は(店内でタバコが吸える!)、コーヒー1杯2.8ユーロ(約448円)である。あと花屋が、コーヒースタンドもやってるみたいなところがあって、量こそ少ないがコーヒー1杯1.8ユーロ(約288円)である。日本には、コンビニコーヒーがあるが、やはり喫茶店などそれなりにこだわっているコーヒーのほうがおいしいことは確かである。
ノイケルンという地域のせいもあるかもしれない。ケバブは平均して1ユーロくらい安い。一般的なドネル・ケバブが、どの店でもおよそ6ユーロ代(960円)である(神田調べ)。ポツダム広場近隣は、ふつうが7ユーロ、ビッグで8ユーロのところが多かった。ビッグマック指数的なノリで、ケバブ指数なるものが、作れるかもしれない。これでも高くなったらしい。
エンゲル係数という指数がある。これは、家計の消費支出にしめる食糧費の比率のことである。渡独直前、個人的に食費がものすごく高くなっていたのが思い出される。あまり食事では基本的に我慢しないことにしていたのだが、自分の過去の家計簿を確認してみると、コロナ前に月3万円程度に済んでいた(飲み会なども含む)のに、夜勤続きでコンビニ食が増えたのもあったかもしれないが、2024年の前半は、月6万近くになっていた。この個人的な状況が、報道されているエンゲル係数と驚くべきほどに一致する。2024年のエンゲル係数は28.3%だった。私の支出は平均18万円程度だったので、食費が月6万円というのは、かなり平均的な日本人的支出だったということになる。自炊をまったくしなかったわけではない。ある程度、料理を楽しむだけの余裕はあった。ただ、一人暮らしのワンルームだと、一口コンロの、まな板置く場所なしのおもちゃみたいなキッチンしかないので、ちまちました工夫が必要になった。
日本のエンゲル係数(2024年)が、28.3%と3割に届こうとする一方で、ドイツのエンゲル係数(2022年)は、18.9%である。この差はかなり生活実感に近いものがある。もうちょっとちゃんとデータを見てみると、2022年時点で、日本の総消費支出に占める食品支出(外食、アルコール、タバコを除く)は、15.2%で、ドイツは10.8%らしい。
家賃も考慮した生活全体をみると見え方が変わるかもしれない。日本は、地理的都合もあって、バカスカ家を建てるので、むしろ地方では家が余っており、空き家が問題になるくらいの状況である。東京など局所的に見れば家賃は高騰しているのかもしれないけれども、視点を大きく持てば、そこまで深刻ではないように思われる。ベルリンを含めたヨーロッパ全土はといえば、深刻な住宅不足らしく、当然家賃も高騰している。現実としては、昔からベルリンに住んでいたりしてその頃の家賃のままで過ごせている人はあまり変わらず、むしろ部屋を貸し出したりして利益を得ている一方で、「新しく入ってくる」人に負担が集中しているように感じられる。ここにもしかしたら、「分断」の正体があるのかもしれない。
運よく、たまたま、好条件の家に住むことができている「持てる」人と、さまざまな事情で新しく入ってきた「持たざる」人たちの間にある、この分断は、「持てる」人の側にとっては見えず、「持たざる」人にとっては強く刻まれる。私を含めた「持たざる」人は、家からろくに出ることもできず、とにかく食事には困らない。自分たちは例えば、ウェイターをしているが、自分が働く店と同じレベルの店に手軽に行くことはできない。「持てる」人は、そんな現実などつゆ知らず、レストランで環境問題について議論している。
マクシム・ゴーリキー劇場で観劇した『舞台罵倒』(Bühnenbeschimpfung)では、「月収〇〇ユーロ以上の観客」と聞いて、この「月収〇〇ユーロ」を少しずつ上げて観客を徐々に座らせていくという演出があった。私はすでに失業していたので立ち上がることもできなかった。比較的若年層多めのゴーリキーでも、かなり高収入な観客で占められていることがわかった。これこそ演出の狙いだったのかもしれないのだが、『知の考古学』ばりに切り込んでいかないと、上澄みだけで終わってしまってこりゃいかんぞきっと、というふうに感じられた。
今日は、貸借対照表と損益計算書を見る機会があって、もう少し数字を「読める」ようにならなければならないと思った。エンゲル係数は、高齢化の影響も受けるのに、短いニュースで示されたグラフだけ見ていつもわかった気になってしまう。大学の「統計学入門」の単位は確か落としてしまったな、そういえば。ただ、生活実感から見えてくるものもあるし、そういうことと、現実の統計と、人々の思い込みを組み合わせて、ドラマが書けることもある。いや、書かなくてはならない。お腹が空いた。友人からいただいた、貴重な餅を食べる。そして今夜は、ケバブを食べることを自分に許可したい。
総務省データ:
https://www.stat.go.jp/.../tsuki/pdf/fies_gaikyo2024.pdf
Our World in Data:
https://ourworldindata.org/engels-law-food-spending
『アップ・ユー(三菱UFJ銀行コラム)』「エンゲル係数の上昇は貧困化の進行」のウソ・ホント」:
https://www.bk.mufg.jp/column/keizai/0021.html
(※3記事とも、2025年5月25日閲覧)