【ドイツ 演劇】Kontakthof Echoes of '78 (ピナ・バウシュ、メリル・タンカード Pina Bausch / Meryl Tankard『コンタクトホフ――エコーズ・オブ・78』)――2025年5月15日 ベルリナー・フェストシュピーレ Das Haus der Berliner Festspiele ※テアタートレッフェンTheatertreffen
コンセプト・演出(Inszenierung):メリル・タンカード Meryl Tankard
振付・演出 Choreografie und Regie(1978年):ピナ・バウシュ Pina Bausch
観劇日:2025年5月15日
初演日:2024年11月26日
京都舞台芸術協会の理事会があったので、早めに劇場に着いておいて、フェストシュピーレの劇場前から参加する。他のベルリンの劇場は、併設のカフェが早くからオープンしているので、そこでいろいろ時間を調整したり人に会ったりできるのだが、フェストシュピーレはなかなか劇場を空けてはくれない。きちんと記録できていないのだが、1時間から1時間半前にカラフルな椅子が並べられ、45分前くらいにやっと劇場のなかに入ることができるような流れである。オンラインで話しているというのに、一人の中年の女性が話しかけてきて、「すみません、今日のピナ・バウシュを観たいのだけれども、あの列に並んだらいいのでしょうか」という質問に「わからないですが、私はここで待っています」と答えた。よくよく話を聞いてみると、彼女はチケットを持っていなくて、当日券狙いだったようである。「あ、すみません、私はチケットを持っているんです」というと「あら、そうだったの」となって、少し申し訳なかった。私が察していれば彼女はチケットを手に入れることができたのかもしれない。劇場がオープンしてから、「チケット、あらへんかったわ」と悲しそうにしていた。
ピナ・バウシュ(1940-2009)はドイツのコンテンポラリー・ダンスの振付家で舞踏家である。いつも通り不勉強な私はうっすら名前しか知らなかった。トレッフェンがなければきっと何も知らないままだっただろう。1978年に初演された『コンタクトホフ』は、ピナ・バウシュが国際的に注目されはじめた頃につくられたという。そして46年が経った2024年にオリジナルキャストの一人、メリル・タンカードが新しく生み出したのが、本作 Kontakthof Echos of ‘78 である。
1978年のオリジナル版『コンタクトホフ』に出演していたダンサーのうち、9人がそれぞれの役に戻る。舞台前方に斜幕が張られ、そこに初演当時の映像が大きく投射される。それと同じ振付を、9人それぞれが踊るのだが、46年前の身体と、今の身体では大きな隔たりがある。もともとは、20人の出演者がいたらしい。なので、ペアになる場面で片方しかいないということもたくさんある。
Kontakthof の Hof (ホーフ)は、中庭を意味する。学校の校庭なら、Schulhof となる。Hof にはほかにも宮廷や、〇〇館といった意味もあるようである。Kontakt は英語の Contact でカタカナ化した「コンタクト」とあまり変わりはない。Duden で Kontakthof の項目を見ると、hof in einem Eroscenter o. Ä., in dem Prostituierte auf Kunden warten(売春婦が客を待つ風俗センターなどにある部屋)が第一の意味として掲載されていて、第二に、単に Hof für Kontaktaufnahme, Gespräche usw.(接触や会話などのための中庭)と書いてあった。なお、三修社のアクセス独和辞典(第三版)には、Kontakthof 単独では立項されていなかった。
意味を調べてみると、1978年のジェンダー意識に少しだけ目がいってしまうのだけれども、実際に観劇しているうちはそういうことよりも、目の前の高齢のダンサーたちの生き生きとした姿にただただ感動する一方だった。白黒の映像との距離感には、46年という重厚な説明が与えられている。それは保守的で権威主義的な、いやらしいものでは決してなく、穏やかで愛嬌のあるものだった。長い歴史を持ってしまうと、人も組織も、その歴史自体に必要以上の重さを感じ取り、他者との交わりのなかで、傲慢になることがある。それがふつうの事態なのだが、本作では老いると固まってしまいがちな身体を柔らかくほぐして、過去との交流を開くためには何が必要なのかを全身全霊で見せられているような印象だった。個人的にはダンス公演ではじめてはっきりと「感動した」体験であった。
人々は何になつかしさを感じるのか。1978年初演だが、選ばれている楽曲は、1930年代のジャズのヒット曲である。コンタクトホフのためのプレイリストがスポティファイで作られてあったので、それぞれ確認することができた。1930年代といえば、1933年にナチ党が政権を握り、1939年9月1日にはポーランドへの進攻を開始する時代である。ナチ党が政権を握ってから、「失業率は減少、景気が回復に向かっていた」。ナチ党の政権掌握と、数値上の景気回復にじつは因果関係はないらしい。ただ人々が振り返ると、1930年代は戦争さえはじめなければ「よかった」時代である。これは日本と同じなのかもしれない。自分たちより一世代上の人々が好んだ楽曲を、米ソデタント崩壊前夜の1978年にあえて採用されてあること、そしてそれが今、再生されていることには、例えばドイツでまた同じ歴史が繰り返されようとしているのではないかという暗示も見て取れる。Afdが連邦憲法擁護庁により、右翼過激派に指定されたのは、2025年5月2日のことである(5月8日に一時停止)。そしてドイツ国会議事堂放火事件は、1933年2月27日のことだったか。次の歴史は「喜劇」となるのかもしれない。
参考: