劇団辞めてドイツ行く(55)ブリュッセル(クンステン・フェスティバル・デザール)に行ってきたーー2025年05月19日

 去年にベルリンからパリ、デュッセルドルフ、そして今年はブリュッセルに行き、来月にはハンブルクにも向かう。ゆく先々で人に会うがみな誰か別の人のお金で移動・滞在している。いいなぁ。

 ヨーロッパ内の移動には、金がないのでバスを使う。2013年に設立されたドイツの会社、フリックスバスは路線を拡大し、これのおかげでかなり安価にヨーロッパを移動できるようになった。電車のICEや飛行機を利用すれば短時間で移動できることもあるが、労働者階級を簡単に乗せる気がない価格である。なお、フリックストレインというのもあって、激安オンボロ車両であるが(これが安さのヒケツ!)、こちらも比較的安くで移動できる。(さいきん知ったが、チェコのバス会社に レギオジェットRegio Jet というのもある。そのうち東欧にもいきたいのでメモしておく。なお、Nはウィーン芸術週間に向かう際に利用するらしいので、話を聞いたら勝手にレポートする)

 ベルリンから、ベルギー・ブリュッセルまでは、片道休憩抜きなら10時間強といったところ。経由地が増えると安くなるが、時間はかかる。また出発到着の時間帯が変わると料金も変わる。乗り継ぎで1時間、2時間待ちというパターンもある。フリックスバスにはアプリがあって、予約、支払、チケット管理までまとまっているので非常に便利である。追加料金を支払うと、座席指定もできる。バス内はwifiあり、コンセント、USBポートありだが、「全席にあるわけではない」。wifiにも利用制限があるし、客が多いと当然遅くなる。なので、身体的負担を考慮せねばならない。それから、運転手の英語がまじで聞き取れない。それに1回しか言ってくれない。休憩後の出発時、日本の夜行バスみたいに人数を確認している様子もないので油断すると置いていかれるかもしれない。

 ブリュッセル行きは、Nの提案だった。市原佐都子の作『キティ』を観に行くことにした。作品についてはまた個別に書く。4人部屋、格安のドミトリー。10人部屋だともっと安い。10ユーロ程度で朝食をつけられる。話しあって、ここで10ユーロの朝食を食べることにした。外で朝何かを食べるよりはおそらく安くつくだろうと。

 23時にベルリンのバスターミナル、ZOB ( Zentrale Omnibusbahnhof)から出発である。早めに到着して、軽食(ケバブ)を摂って待機。このあと、ブリュッセルでも2回軽食(ケバブ)を摂ることになるのだが、これは脇に置こう。またバスが来ない。パリへ行ったときと同じである。あのときは到着が20分遅れた。今回はどうだろう。ベルリン発だとほぼ毎回遅延があるのだが、もしかしてベルリン発は遅れがちになるものなのか。

 30分くらい経つと、unbestimmt später (どんだけ遅れるか知らん)と掲示板に表記され、約10分後には ca. 60 minuten (約60分)と出てそのわずか5分後には ca. 90 minuten (約90分)と出た。クレームを入れてもいいレベルではないだろうか。次が安くなるクーポンとかよこせや。90分遅れてやっと到着。Nは追加で10ユーロ払って指定席を、私は自由席である。しかし、両方に充電ポートもコンセントもなかった。私はあまり眠れなかったのだが、ロッテルダムあたりで隣のおじさんが降りたので、到着までの4時間程度を二席広々と使うことができた。軽く眠る。Nはしっかり寝れたらしい。たくましいものである。

 到着後すぐにワッフルを食べた。N は「世界一ワッフルおじさんの家」という店と主張していたが、店名には Le Roi de la Gaufre =ワッフルの王さま と書いてある。こういうことで幼い頃母親と言い争いになった記憶がよみがえる。Nの話によると、ワッフルを作っている職人気質のおじさんがいたようで、今回は店にはいなかった。もしかするとリタイアしたのかもしれない。ただワッフルはおいしかった。

 到着した日は、ブリュッセル・プライド・パレードの日だった。内容云々以前に、祇園祭も真っ青の、ありえない人並みである。ブリュッセルそのものもそれほど大きい街ではない。エリアによってはワンブロック進むのにも数十分かかるような状態だった。街並みは日本人の多くがイメージする「ヨーロッパっぽさ」満載である。当然ディズニーランドのように遠近法を使っていることによるハリボテ感もなく、どこを切り取っても美しい。

 しかし、1時間ほど歩いて、Nの友人が言うポテトのうまい店に向かっていくと、だいぶ現実が見えてきた。大阪の堀江だとか、あべのハルカス周辺とかに似ていた印象である。ポテトは旨かった。

 私たちが滞在したのは、Safestay brussels Grand Place というホテルでブリュッセルのど真ん中にある。安いしすごくよい立地である。ただ二段ベッドでギシギシいうし、上の段は隙間がデカすぎて、寝返りを打つと、すり抜けて落ちる可能性もある。上段にも下段にも、充電用のUSBポートとコンセントが一つずつあり、さらに手元明かりが設置されていた。マットレスと枕はふつうだったが、掛布団は、布団カバーだけで中身がない状態である。暖房器具があるとはいえ、これでは冬は寒いかもしれない(そもそもヨーロッパの家は暑さ対策ができていない)。スマホでアプリをダウンロードすると、ブルートゥース機能で鍵を開けられるようになる。このような仕組みははじめてだった。

 Nと違って、フェスティバルにはまったく関心がなかったので帰りのバスでこのテキストを書きながら調べているが、今回私が行ってきたのは「クンステン・フェスティバル・デザール」といって、世界的に注目されており、あちこちで権力者が闊歩するようである。酒を片手に偉いやつを囲う雰囲気は嫌いである。ヨーロッパの人びとは酒の席では、フォークとナイフを両手に握りしめながら、テーブルをドンドン叩いて、自分の故郷の歌をみんなで歌い出すのだとばかり思っていたが、まだ現物を見たことはない。話が違う。打ち上げというものは、「お前なんかと二度と演劇やらねえからな!!」と叩きつけ、次の週には結局同じ稽古場にいるといった類のものでなければ楽しくない。なお、私は「まぁまぁ」と宥める側にいたい。

 ケバブについて、2店舗食した。ベルリンでは見つけられなかった、「カプサロン」というスタイルがあってどの店でも12ユーロであった。トレーに野菜、ポテト、肉、チーズがまとめてぶちこまれてある。Nと6ユーロずつ出しあってつつく。やはりケバブはベルリンである。ベルリンの美点とは、いや、ヨーロッパの美点もおそらく、劇場とケバブである。また、ケバブとは、店舗で選ぶものではないこともわかりつつある。愛想のあまりよくないおっちゃんが店員である場合がもっともよいケバブを出す確率が高い。

 ベルギーにはあまりよいイメージがない。おそらくレオポルド2世のせいだろう。歴史を思い返していくと、美しい街並みの見え方も、ワッフルの味も変わってくる。繁栄の裏にあったものは、とてもではないが「見て取ることはできない」。朝になると、昨日のパレードの残骸を業者が行っている。作業をしている者のほとんどがアフリカ系だった。Nによると、早朝はゴミまみれで地獄のような風景だったらしい。祭りは後片付けまで含めねば参加したとは言えないように感じた。「楽しいところ、おいしいところだけ持っていって、きたねぇ仕事は移民にやらす」という傲慢が伝統なのだろうか。〈退いた視点〉から見ると、文化・芸術のすべてが、搾取やダブルスタンダードの、もっともおぞましき権化のように映ることがある。地割れがいつか起きるのではないだろうか。そう考えてしまうのは、きっと断続的な自然災害に晒されて生きざるをえない日本人的な感覚なのだろう。「この家いつからあんねん」がふつうのヨーロッパとはそのへんからかけ離れる。ドイツはストライキという人力で電車が止まるが、日本は地震や台風で電車が止まる。

 ベルリンに戻る。さらば、Merci! またバスである。こちらのバス乗り場はセンターではないので少しわかりにくいが、ほかのフリックスバスが停車しているし、緑のフリックスバスのジャンパーを着用したスタッフもいて、話しかけてみたらすごく親切に、「あと数分であなたのバスは来ます」と教えてくれた。ABCと乗車場が複数あるだけではなく、駅の北側と南側に二つのバス停があるので気をつけねばならない。午前10時55分発のバスを待っていると、インド系らしいおっちゃんが話しかけてきて、

「君のスマホで私のブリュッセル発・パリ行きのバスを予約してくれないか。私にはガラケーしかないんだ。金は現金で払う」

 と言ってきた。面倒くさいので断りたかったが、まぁ金をくれるなら別にいいやと応じた。おっちゃんの名前で予約して、予約番号を伝えて、17ユーロを受け取り、私は先に出発したが、果たして大丈夫だったのだろうか。QRコードなしでも乗れるのだろうか。何がどう転んで、そのような不安定な状態になったのかはわからない。ブリュッセルからパリに行くような人なのだから、それほど困窮しているようにも見えなかった。何も考えていなかったのだろうか。聞いてこなかったので、連絡先を教えてもいない。あとでデカい何かになったりしないことを願う(伏線ではない!!)。