【ドイツ 演劇】DONATION(アトム・エゴヤン Atom Egoyan『ドネイション』)――2025年4月25日 マクシム・ゴーリキー劇場 Maxim Gorki Theater

テキスト・演出:アトム・エゴヤン Atom Egoyan
出演:エドガー・エッカート Edgar Eckert アルシネ・カンジアン Arsinée Khanjian

観劇日:2025年4月25日
初演日:2025年4月25日

 4月頭にシャウビューネ劇場でFINDが開催され、5月からはテアタートレッフェンが控えるなか、マクシム・ゴーリキー劇場でも、100 + 10 ARMENIAN ALLEGORIES (「100 + 10 アルメニアの寓話」)がはじまった。このフェスティバルは絵画/写真、演劇、音楽、映像を含んだものである。150人の作家が世界中から来て、40以上の作品をゴーリキー、あるいはその周辺で発表する。100 + 10 というのは、オスマン帝国によるアルメニア人虐殺から110年という意味らしい。FINDやトレッフェンと比べると、「アルメニア」というところに題材が限定されているという点が特徴的である。客席では、英語でもドイツ語でもない言語がちらほら聞こえてくる。

 言語以前に、今回の客席はいつもと少し違っていた。私は4列目の中央よりに座っていたのだが、その席よりも前の席で、上演中にスマホで写真を撮る客が多数いたばかりでなく、隣のオジサマはウィンド・スクリーン(風防)付のレコーダーを隠す様子もなく手に持っていた。今日はそういうのOKな日なのだろうかと思っていると、少し離れたところで、ある観客がスマホで撮影する別の観客に何やら小さく声をかけていて、おそらく撮影は禁止されていると伝えていたのだろうと推測される。終演後に、「今回は撮影・録音OK」の張り紙を探してみたのだけれども、見つけることができなかった。

 映像が投射されている。劇場の外側、エントランス、ロビーなのだが、雪が積もっているので今日(4月25日)のものではない。トラックがやってきて、荷物が運び込まれてくる。10分くらい押している。いや、この映像をもって舞台ははじまっているのだろうか。

 舞台は著名なカナダの俳優 Arsinée Khanjian に対して、アーキビスト(保存価値のある情報を査定、整理、保存、管理する専門家)がインタビューを行う。Arsinée Khanjian(出演も本人) は自身が出演した映画『アララトの聖母』(Ararat, 2002)の衣装を寄付 Donation したいと考えている。中央に椅子と机があり、Arsinée Khanjian が腰かけている。舞台両端には、衣装が入っているであろう箱がある。はじめの映像は、これらが運び込まれた様子だったのだろう。後ろには映像が投射されるスクリーンと、その手間に大量の衣装が吊るされている。同映画には、虐殺を生き延びた画家 アーシル・ゴーキーが登場する(ゴーキーのスペルは、Gorky である)。アーシル・ゴーキーは20世紀のアルメニア出身の画家。1915年の虐殺で母を失い、アメリカに移住したという。『芸術家と母親』(The Artist and His Mother)は母の手が非常に印象的である。映像のなかで、画家は最後の仕上げに、自分が書いた絵のなかの母の手に直接触れる。この絵のもとになった写真が持つ記憶ではまた、息子のコートにボタンがないのに母が気づいて、息子に右手でその部分を隠すように言ったようである。映像に登場する虐殺は表現が大げさで、今ではお粗末な過去の作り物ののように感じられる。それはおそらく現実そのものを描写しようというのではなく、「どう見えるか」に意識を向けることに注目しようとしているのだと思われる。「エゴヤン作品においてはアルメニア人は単一のナラティヴでは覆いきれない、複数性を持つ民族として表象されている」(馬場広信「アトム・エゴヤン作品に見るカナダのアルメニア人表象」論文概要書、7頁)

 カナダで活動するアトム・エゴヤン Atom Egoyan は、1960年生まれの映画監督。Arsinée Khanjian はパートナーである。『アララトの聖母』(2002)では3度目のジニー賞作品賞を受賞したとのこと。両親はアルメニア人で、両親の亡命先のエジプト・カイロで生まれた。

 アルメニアは、黒海とカスピ海の南のカフカス地方の中央に位置する。「トルコの東、シリア、イラク、イランの北」といったほうがわかりやすいのかもしれない。4世紀には世界ではじめてキリスト教を国教化した。16世紀にはオスマン帝国とイランのサファヴィー朝がこの地で争い、近代にはトルコ、ロシア間の紛争地帯となった。現実には、こんなふうに完結にまとめられない、あまりに多層的な国際事情が絡む地域となった。ローマ帝国、パルティアにはじまり、オスマン帝国、ソ連、アメリカにいたるまで「世界史」そのものがこの地域の悲劇に作用している。「世界史とは自由の概念の発展にほかならない」(ヘーゲル(長谷川宏訳)『歴史哲学講義(下)』岩波文庫、1994年、373頁)というのは嘘だと思う。そのヘーゲルが熱狂したフランス革命の乱痴気騒ぎに人類みんな付き合わされてうんざりである。しかしもう時は戻せない。完全に客観的な事実を記録ことが不可能なことが明らかななか、芸術にできるのは、感情の記憶を表現し、抵抗することだけなのかもしれない。

参考: