【ベルギー 演劇】Medea’s Kinderen(ミロ・ラウ『メディアの子どもたち』)――2025年4月7日 シャウビューネ劇場 Schaubühne am Lehniner Platz ※FIND
演出:ミロ・ラウ(Milo Rau / NT Gent)
テキスト: Milo Rau, Kaatje De Geest and Ensemble
観劇日:2025年4月7日
初演日:2024年4月1日(NT Gent / ベルギー、ヘント※)
言語:主にオランダ語
字幕:ドイツ語、英語
※Gent はオランダ語の綴り。フランス語だとGend 英語だと Ghent になる。
ミロ・ラウは、1977年スイスのベルン生まれの演出家、作家、映画監督、ジャーナリスト、活動家。実際に起きた犯罪や紛争、歴史的事件についての綿密なリサーチともに創作するのが彼のスタイル。メディアは、言うまでもなくギリシャ悲劇の登場人物で、この悲劇と現実の事件を重ねる作品である。
赤い幕の前に七脚の椅子が置かれている。作品は、中年の男性の俳優(Peter Seynaeve)と、出演した子どもたちによる「アフタートーク」からはじまる。重いテーマとは対照的にかなり明るく、楽しくトークは進む。「子どもとアフタートークなんてするもんじゃないな…」とついていけなくなるピーターおじさんの愛嬌がとてもいい。そして、ピーターの〈監督〉のもと、子どもたちが役割を演じる。舞台背景には大きく映像が投射されて、そのなかでは大人が出演していて演技をする。カミテには電子キーボードともう一つ(名前がわからない)楽器があって、これも子どもたちが演奏する。しかし、おそらく形だけで、実際には弾いていない。最前列で観るとわかる。
現実の事件は、ベルギー人女性が夫がモロッコにいるうちに、一人の息子と四人の娘を殺害し、直後に自身も自殺を図ったものの、未遂に終わり、自ら救急車を呼んだというものである。彼女は終身刑を言い渡されて、2023年収監中に自ら安楽死した(英語版wiki参照: [https://en.wikipedia.org/wiki/Geneviève_Lhermitte])
エウリピデスの作『メディア』は、夫イアソンの不貞に怒ったメディアが二人の息子を手にかける話である。現実の事件と、この古典が並走させられる意味とは、永らく人間社会に〈制度〉というにはあまりに堅牢な形で実在している問題を意識することだろう。観客は、幼い子どもたちを通じて追体験することになる。
>>Ich bin allein in Fremd Stadt.<< (『私は外国で、独りぼっち…』)とか、
>>Einsamkeit der condition humain. << (「人間存在の、孤独…」)とか、
子どもたちは、〈母〉への理解を示しているように見える。しかし、5人の子どもを殺害する場面が、一人ずつ時間をかけてしっかり行われることで、観客は現実を直視する時間を与えられる。一般的なストレートプレイならば、もしかするともっと省略されて表現してしまいそうなのだが、子どもとはいえ抵抗する5人の命を絶つのは「骨の折れる」作業になる。特殊な訓練を受けていなくても、1人くらいならなんとかなるが、5人というのは物理的常識からしても尋常ではない。その狂気をわれわれは目の当たりにする。舞台カミテに小さな小屋があって、外にいる子どもたちを一人ずつなかに連れて行き、扉は開けたまま押さえつけて首をナイフで切る。小屋のなかは見えないのだが、ピーターがカメラを持っていてなかの様子は舞台背後の大きなスクリーンで実況される。どういう仕組みなのかわからないが首を切る場面では切り口に合わせて血のりが出るようになっていた。殺害された子どもたちはずた袋のように外に放り出される。一人目の子どもが外に投げ出される様子が、「ああ、なんて小さいんだ」と生々しく心に刻まれた。
かなり衝撃的な作品であることには間違いがない。そして創作のプロセスもかなり気になった。どのようにしてこの表現を子どもたちとともに作ったのだろうか。基本カメラ担当のピーターの存在が何かとても重要に感じられた。挑戦する子どもたちに対して、こういう大人であるべきというような気持になった。上演がオランダ語だったのだが、ドイツ語とフランス語と英語が混ざったような言葉で、作品とは直接関係ないのだが、はじめはいささか混乱した。Ich weiß nicht. (イッヒ・ヴァイス・ニヒト)がイック・ヴェー・ニーのように発音されたりして、奇妙な感覚であった。
ミロ・ラウは、2023年7月ウィーン芸術週間の芸術監督に就任していて、NTgent にはレジデント・アーティストとして在籍中とのこと。日本語でもインタビューが読める((2024年10月 PANJ参照))。個人的には映像作品『コンゴ裁判』が気になるので次の鑑賞の機会を伺いたい。