【ドイツ 演劇】Rimini Protokoll >>EVERGIVEN - eine Kipp-Punkt-Revue<<(リミニ・プロトコル『エバーギブン』)――2025年3月10日 HAU劇場 Hebbel am Ufer

観劇日:2025年3月10日
初演日:2025年3月8日(ドイツ初演)
上演時間:2時間30分

 はじめてのHAU 観劇であった。トイレがジェンダーフリーになっている。フォルクスビューネ Volksbühne にもジェンダーフリートイレがあった。しかし、その実は男性用トイレの看板をすげ替えただけのものである。小便器は使えるままである。ジェンダーフリートイレが誰かを救う理念のもとのものだったとしても、これでは意味がない。実態は「男性への配慮をやめる」だけのものであり、秩序を混沌へと引き戻すことで多様性を装っているにすぎない。「秩序化された無秩序」と書いたのはブレヒトだったか。保守派の台頭はこういうところから発生する。

 リミニ・プロトコルの作品では、演劇経験のない〈素人〉が舞台に上がるという。今回は、シリア出身の二人。こういうジャンル分けは好まれないかもしれないが、いわゆる「移民モノ」である。ベルリンの劇場ではいくつもこの類の作品にぶちあたる。日本の演劇で「日本への移民」が扱われることはそれほど多くない。「日本が移民に対して閉鎖的な社会である」というのは「誤解」らしいのだが(※1)、少なくとも演劇はこの「誤解」に寄与しているといえるだろう。ちゃんと統計を見なければならない。ただ、「ファクトベース」とか「エビデンス」とか、わざわざ横文字にする必要のないものを横文字にしてくる人間は基本的に信用しないほうがいい。「漢意 からごころ」というやつである。

 冒頭はバンド隊の演奏で、ドラマティックに惹きこもうという演出である。上手の手前には、雪だるまが置いてある。不可逆性の象徴なのだろうか。舞台は場面に応じて回転する。この回転舞台も、どの劇場にもあるようで、個人的に勉強になる点が多い。私が、なぜ回転舞台を勉強しているのかというのは、今年中に明らかになる。シリア、トルコと海を越え、山を越えようやくたどり着いたドイツ。水に濡れたジャケットをフックに引っ掛け、高く引き上げられる。そこから滴る水滴の音が劇場に響き、ドラムがその Tropfen (drop) に合わせてリズムを奏でるようになる。また海を渡るコンテナ船の映像も入ってきて、人々だけでなく、今手元にあるあらゆるものがこうしてはるばる旅をしてやってきているということが示される。それは「もうずっと与えられてきた」>>evergiven<< というわけである。

 舞台で雪が降ってくる場面があって、日本の舞台監督がやるのと同じ機構の雪降らしが、劇中で設置される(一定の箇所に穴が開いた布をU字に吊り、〈雪〉を仕込み、紐を引くと穴が開いた部分が下にくることで、雪が降ってくるというもの)。自分自身も、2月に再入国したときにはベルリンではじめて飛行機から「雪景色」というべきものを見た。大阪・京都だと年に一度あるかないかくらいと、滅多にお目にかかれるものではない。それ以外にも個人的にいろいろなことを思い出した。一時帰国の飛行機で隣に座ったおしゃべりな男は、イスラム文化圏の某国から子どもだけで走って逃げて国連に保護されてベルリンに今は住んでいる、国に残した親には黙ってムスリムを辞めたらしい。日本のホテルは今やかなりインターナショナルな職場である。複数の同僚が若くして結婚して国からパートナーを連れて来ている。ほとんどが「絶対に帰りたくない、日本がサイコーです」と言う。

 自分のドイツ語理解では、問題の重大さに対して、ポップすぎる印象に見えてしまった。英語字幕もあり、そもそも字幕がドイツ語でも出ていて演出に組み込まれている。しかし、音楽に合わせてかなり早いスピードで切り替わるので、母語話者以外にはきつく、追いつけない。もちろん演出上の美観も重視すべきなのだが、テーマに即して考えた場合、もう少しわかりやすい設計になっていて然るべきとも考えられた。

 もう一つ、気になった点がある。今回他のベルリンの演劇ではあまり見られなかった「言いよどむ」セリフがあったことである。

>>Dabei….Dabei….<<

 直訳すれば『その際...その際...』とかになる。もちろん、よく聞いていれば、他の作品でも、aber とか doch とかたぶん「心態詞」にあたるものが出てくるのだが、かなり小さく瞬間的なものなので、観劇中に深く考えることはできない。しかし、映像で登場して話す出演者はゆっくりと、「何を言うべきか考えている」といった体でいる。ここに何か自然なドイツ語というか、もう一歩先のドイツ語を考えるキッカケがあるのかもしれない。しかし、まだ「かもしれない」の段階である。別の場でも、

>>Dazu…Dazu…<<

と何を言うか考える様子を聞くこともあった。どういう順序で話すのか、どこで詰まるのか、もう少し観劇を通じて観察していきたいと思う。Bitte と Genau はとりあえず覚えとこうみたいに言われるが、汎用性が高すぎて、逆に使いこなすのが難しい。「せやで」と「そやな」くらいのもんか。微妙にドイツ語がわかってきて、逆に混乱するようになってきてしまった気がする。乗り越えなければ。

※1 是川夕「日本は移民社会なのか?その特徴とは?――連載 統計から読み解く移民社会①」『日立財団グローバル ソサエティ レビュー』( https://www.hitachi-zaidan.org/.../commentary/index.html )