【戯曲を読む】No.12 松田正隆『月の岬』1998年 読売演劇大賞最優秀作品賞(上演台本(1996/9/30)を読む)

あらすじ

 長崎の離島、平岡家。夏の朝。結婚式の日。高校教師、平岡信夫は、結婚後妻直子とそして、姉佐和子とともに住むことにしていた。朝準備をしながら信夫は、佐和子かつての恋人、清川悟と密会していたことを訊く。悟は東京で会社を経営していたが、借金が返せず逃げてきたらしい。

数日後、悟が現れ、(クリックで詳細)

 佐和子に復縁を迫るが、佐和子は拒絶する。二人が争っているところに信夫の生徒、丸尾が現れる。悟は丸尾に軽く絡んで去ると、また信夫の生徒七瀬と沢柳が現れる。丸尾は進路について信夫に相談し、七瀬は先生が結婚したから自分は沢柳と付き合う、キスをした、それ以上のこともしたと仄めかす。信夫が直子とともに戻ってくると、長崎大学には文学部がないので、東京の私立大学に行くという丸尾に、それでは学費もかかるし、だいいち親には相談したのかというと、否と丸尾は答える。七瀬は沢柳との行為に整理がつかないまま自身の妊娠を心配する。

 九月の初旬、夕方。和美は悟に捜索願いが出ているということを駐在の杉本から聞き、佐和子に何か知らないかと問いかける。その後、悟がふと現れる。そこに信夫が帰宅する。警察に電話しようとする信夫と止めようとする悟で、つかみ合いになる。と、電話がかかる。それは分校の生徒からのもので、七瀬のことでゆすりにかける強迫だった。そのあいだ悟は佐和子の腕をつかんで廊下へひきづりだそうとする。電話を切って、佐和子を助けようとする信夫。直子は、信夫と悟のあいだに入り、はずみでガラス戸にぶつかる。信夫は悟との関係について佐和子に問うが、佐和子は答えない。
 二日後の夜。佐和子の行方がわからなくなる。江藤峯子という女性が、佐和子の様子に不審を感じたのだという。佐和子は病の大浦の父が峠だというので、そこに行っているはずだったが、駐在によればそこにもいなかったという。大浦の父は亡くなり、さらに二日後、悟の行方がわからないと手がかりをもとめて、悟の妻の裕子が娘の有里とともに現れる。裕子は佐和子と悟の関係と、行方知れずの原因を察していたのであるが、有里に連れ出されて、母娘は去る。直子が借りた喪服を返しに佐和子の部屋に行くと、信夫は「秋の空をながめ、それから茶を飲み干し」、佐和子の「部屋の暗がりへ消える」。「かすかに、波の音・・・」。

松田正隆(1962-)

長崎出身、立命館大学文学部哲学科卒業。1994年、『海と日傘』で岸田國士戯曲賞を受賞。本作では読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞。京都市北文化会館での1997年の初演では平田オリザが演出を担当した。2003年から『マレビトの会』を結成。

ノート1(2020年)方言について

「方言」は、地方に生れ育ち、その言葉を知っている作家にとっては強みとなる。このような言い方がすでに、都市と地方の隔絶を物語っている。それは豊かさと不平等を同時に表すものである。都市の者たちからすれば、方言は非日常であり、新鮮に受け取られるだろう。しかし、そのことば使いはそれを扱うものにとってはむしろ日常そのものである。受け手が都市の人間、語り手が地方の人間とすることで、劇場は他と私に分断され、劇は「地方から都市への」異文化交流の様相を呈する。日本が先進国であり、いかに画一化が進行しているといっても、地方と都市の差は確かに存在し続ける。もちろん、その逆も可能性としてはありえる。いやむしろ中央集権的体制が強ければ強いほど、都市から地方に、「都市」を「教える」ものである。しかし、「富国強兵」に含まれなかった文学は、その逆を行くことができたのである。本作は、ほどよく隔絶された社会だからこそ発生する問題が主旋律となる。そして、その地の伝承に少しずつ取り込まれる登場人物たちは、現在の観客と過去をつなぐ存在になる。「そんな過去があったのか、わからないが、まるであったかのように、その過去は今もある」。セリフは重大なことの多くが沈黙のなかに隠されているように仕組まれる。それが上演を、あるいは俳優を、大きく見せる仕掛けなのかもしれない。その仕掛けは物理的ではなく、やはり劇作の術であると思える。

 「方言」の取扱いは技術的にも注意が必要である。技術的には、端的に言えば混乱を生みやすい。それは稽古場だけでなく、劇場でも同じである。俳優が知らない方言を習得するのには当然時間がかかる。これは想像するまでもないことであろう。それだけでなく、かりに俳優が方言を完全に習得できたとしても、劇場では観客という変数が加わることで、「方言を完全に習得している」という状態を共有できるかどうかという問題が浮上する。例えば大阪弁でも、泉州、摂津、河内の違いがあって、その違いを正確に認識できている観客はごく小数である。作品では摂津弁を扱っているのにもかかわらず、ある観客が河内弁を大阪弁として認識している場合、その観客は違和感を技術上の不備と誤認する可能性がある。誤認されないように、こうしたことを作品の中や額縁で明記してもいいのだが、それはそれで作品に説明くささをもたらすことも想定できるので、慎重にならねばならない。

 岸田國士は、後輩の作家たちに方言で書くようしばしば促したという。井上ひさしも、方言について並々ならぬこだわりをもっていることは作品を読めば明らかで、いわゆる「標準語」は悪い意味での「つくられた言語」であるとする。だから標準語ではこころや人間を表現するのが難しいのだと井上はいう。もちろん、そういう葛藤を悠々と超えていく天才もいたようで、それが大阪出身の劇作家森本薫であり、その作『みごとな女』に、われわれ地方出身の劇作家は感服しなければならない。

ノート2(2025年)「田舎」を描くことについて――『月の岬』、『文化センターの危機』、『柔らかく搖れる』 

 この戯曲は、京都の演劇史において重要な位置にあるといっていいだろう。そのことをあまり知らないうちに読んでしまった。流れ流れて、馴染みの古本屋を介して、私の手許に上演台本がやってきた。一部線が引いてあって、これがもともと誰のものだったのかは、なんとなくだが検討がつく。ただ、そこを深追いする気にはなれなかった。とりあえず、九鬼葉子の『関西小劇場30年の熱闘』からこの戯曲の周辺について引用しておく。

 1997年には、『月の岬』プロジェクトが行われた。「芸術祭典・京」(「芸術祭典・京」実行委員会主催、運営主管・京都市)の一環として、平田オリザが長期滞在して演出、松田正隆の書き下ろしを上演した。まず無門館で1週間かけてワークショップを行い、オーディションの結果、13人の俳優が選ばれた。出演は時空劇場の内田淳子のほか、太田宏、井上三奈子ほか。太田と井上は、後に平田が主催する青年団に入団している。
 公演はまず無門館で1月にプレビュー公演を行い、同年6月に北大路の京都市北文化会館で初演。その後世田谷のシアタートラムのオープニングプログラムの一つとして上演。第5回読売演劇大賞最優秀作品賞に輝いている。

九鬼葉子『関西小劇場30年の熱闘』晩成書房、

 この戯曲(2020年11月に読んだ)と、ロームシアターで観劇した『文化センターの危機』(2023年2月)との印象の差に私は正直面食らった。作家というものは当然、興味・関心の矛先が動いていくものだが、何がどうなってこうなったのか、まったく想像することができない。端的に言ってしまえば、『月の岬』は、余白なんて感じさせないほどの書き込み具合だったのだが、『文化センターの危機』のほうは巨大な空白が置かれているという演出だったからである。いずれも、同じく故郷長崎が舞台とのことなのだが、この差について少し考えてみたい。

 これまで私が読んできた田舎を描く戯曲というものは、もう少し泥臭く、重く、濃い人間関係が絡んだり歪んだりするというようなものが多かった。例えば、野上彌生子『腐れかけた家』がそうだった。そして、そこには『月の岬』も含まれる。ところが、『文化センターの危機』は、軽く、薄く、希釈された人間関係というような印象である。これは、マクロな視点で考えるならば、人口減少の煽りを正面から受けている「田舎」の事情を、松田の作品もまた、正面から受けてしまったのかもしれない。

 昨今の多くの「田舎」は「ただ広いだけの場所」になっている。何もかもがゆっくり進み、時折誰かが老いで死んだりするが、そのニュースすらすぐには伝わらない。歳をとると、葬式に出ることすら難しくなるためである。「まだお宅のお母さんは元気にしていますか?」と尋ねて、「亡くなりましたよ、6年前に」という会話が実際に存在する。そういえば、豊岡演劇祭2023でも観劇した『柔らかく搖れる』(豊岡演劇祭)でも、似たような印象を受けた。豊岡という町そのものもよく似ている。何もなく、ただ広いだけの場所、何かを話しても、だれにも届くことなく消えていく声。都会の人間が田舎を面白がるのは、この静寂さか、あるいはもう少し加工されたアミューズメントパークとしての風景に限られる。何らかの因果で、旅行者として以外のつながりを持っている人々はしかし、ネガティヴな印象があって、そういう部分が『柔らかく搖れる』では作品化されていると思う。

 同じ作家の作品とはいえ、上演と別の戯曲を比較対象にすることには無理があるのかもしれないが、この印象の遠さは、記録しておいたほうがいい。もう少し緻密に検証していくためには、松田正隆の過去の上演や戯曲を一つ一つ丁寧に見ていく必要があるのだが、今は濫読の期間なので、このノートはここに留めておいて、別の戯曲をまた開こうと思う。

 なお、私が読んだのは偶然手に入った上演台本だが、同作は今、「戯曲デジタルアーカイブ」で読むことができる。