【戯曲を読む】No.10 別役実『象』初演:1962年

別役実『象』三一書房、1969年

あらすじ――とは何か?

暗い。黒いコーモリ傘をさした男がボンヤリと現れ、口を開ける。
「みなさん、こんばんは。私は、いわば、お月様です」

  はじめそこはどこという指定もないままだったが、モノローグが続くなか、粗末なベッドが一つあり、病人が寝ていて、そのかたわらに病人の妻がおにぎりを食べている、ということがわかってくる。病人は、その男の叔父であることが、さらにそのあとわかる。見舞いにきたような様子。 男と病人の会話は、あのときのヒロシマにいた病人が、あの原水爆禁止大会で演壇に立って背中のケロイドを見せびらかしたときの話になる。以降、男は街に立ってゴザを敷いて、「一生懸命の努力」をやった。愛嬌が売切れたら次はかなしみを売る。当時、小さな女の子がケロイドをさわってみたいといってきたので触らせてやらったらしい。しかし、秋になると街に立つ人もいなくなった。
 病人はしばしばうなされる。観客も、病人と妻とのおにぎりの食べ方の話や、通行人1と2の「見知らぬ人同士の取り留めもなかった会話がなぜか暴力沙汰になる」シーンなど、「筋」とは無関係に思えるようなやりとり、しかし、何か根底では一貫しているように感じられる緊迫した時間に浸る羽目になる。ほとんどの場面は、「二人の会話」で進められる。そして、それらはすべて「揺さぶる側」と「揺さぶられる側」あるいは「固定された側」と「浮遊している側」とにハッキリと区別されている。明朗に読んだり、ゆっくり読んだりするところから、差をつくるというのがまず考えられる単純な戦略だろう。
 いくつかの過去の上演情報を見ると、病人が「狂人」としてあらすじで書かれてある。これは「演出のネタバレ」、というかあるいは「僕たちはこの程度の解釈しかできません」と言っているようなもので、非常に情けない文章を前面に出していると自覚してほしい。戯曲の「あらすじを書く」ということは、情報宣伝のときに必要であるだけでなく、そのときからすでに「演出」ははじまっていると思わねばならない。一定の評価を得ている戯曲を上演するときには、「あらすじ」を読んだ時点で、もうその集団の底が見えたりするものなので、観劇を迷うことがあれば参考にするといい。

別役実(1937-2020)

1937年、満州に生まれる。1960年、早稲田大学第一政経学部中退。1962年、自由舞台(後に早稲田小劇場)結成、『象』上演(鈴木忠志演出)。1968年、『マッチ売りの少女』『赤い鳥の居る風景』で第13回≪新劇≫岸田戯曲賞受賞。1998年4月~2002年3月まで、日本劇作家協会会長。

note 別役っぽい感じのやつ

以下の会話が、「別役っぽい」雰囲気をわかりやすく醸し出す。「別役っぽい」というのは、この国では「不条理」を意味する。また、その影響力を鑑みると「演劇っぽいやりとりだ」とすら言えるのかもしれない。長いが、これくらいでないと意味がないので、引用する。

通行人1 こんにちは。
通行人2 こんにちは。
通行人1 いいお天気ですな。
通行人2 そうです。いいお天気です。
通行人1 空が青い。
通行人2 そう。空が青い。
通行人1 実にいいお天気だ。
通行人2 ええ、実に・・・・・・(1、2を見る)何か・・・・・・御用ですか?
通行人1 何です?
通行人2 いえ、何か私に御用がおありかと思いまして・・・・・・・。
通行人1 用が?
通行人2 いえ、貴方が私をじっと見ていらしたもんですからね。もしかしたら用があるのかなって考えたんですよ。
通行人1 成程、私が貴方をじっと見てましたからね。
通行人2 ええ。でも勿論、何気なく見ているという場合もありますからね。特にこれと云って用はないんだけれど、何気なく見ているという・・・・・・

別役実『象』三一書房、1969年、233頁

こんな調子の会話が数ページ続き、

通行人1、ゆっくりステッキをふりおろす。通行人2、たおれる。通行人1、退場。

前掲書、236頁。

というところでこの二人の会話は終わる。一方が他方のセリフを反復する。完全に問う側と答える側が分けられている。それでも、会話は続く。こうしたポンポンポンと足早に進めていけそうな会話から、気が付けば、ズシンとした重みのあるセリフに引きずり込まれていくような揺らぎがはじめから終わりまで延々と続く。

病人
 海があるんだよ、真黒い海なんだ。  それが・・・・・・・音を立てない。  ただ、目の前の水面がいきなりグングンもり上がってきて、次には、腹の底をえぐる様にしてスッと引いてゆく。真黒い大きな奴が、音もたてずに近付いてきて・・・・・・引いてゆくんだ。

前掲書、207頁。

のようなセリフがあったと思ったら、あっけらかんとした、

病人 タクアンには甘口と辛口があるんだってね。 妻 そうです。甘口と辛口ですよ。 病人 それはどっちだい。 妻 辛口ですよ。

前掲書、214頁。

のようなやりとりもある。『受付』を観劇した限り、このあっけらかんとした部分のほうを、以降別役は発展させていったものと思われる。しかしこれまでそれほど別役戯曲を読んできたわけではないので、これはまた今後の課題としてとっておこう。

※全三幕、声に出して読むと100分程度でした(やや早めで読みました)。