【戯曲を読む】No.5 三島由紀夫『わが友ヒットラー』 発表/初演:1968年

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫) 

あらすじ

1934年6月、首相官邸で三人の「友」が、ヒットラーの演説を聞いている。すでにナチ党は、政権を掌握していた。互いに牽制しあう三者は、突撃隊の幹部レーム、ナチス左派のシュトラッサー、ドイツ鉄鋼業・重工業の重鎮クルップである。ヒットラーは突撃隊と軍部の度々の衝突、シュトラッサーとの政治的なすれ違いに頭を悩ませていた。独占資本家の老人クルップは、そんなヒットラーの相談役のようだった。(第一幕)。翌朝、朝食に遅れてきたシュトラッサーは、首相官邸でレームにヒトラー暗殺をはたらきかける。その後、ヒットラーはゲーリング将軍とヒムラー親衛隊長に、旅へ出、極秘である指令を下す旨を伝える。(第三幕)。レームとシュトラッサーは揃って粛清されていた。「君は左を斬り、返す刀で右を斬ったのだ」とヒットラーを高く評価するクルップとともに処刑の銃声を聞きながら、ヒットラーは「政治は中道を行かなければなりません」と云い幕。

三島由紀夫(1925-1970)

1949年、小説『仮面の告白』で大きな成功を収め、戦後派の作家として活躍。ノーベル賞候補に上るなど、日本の枠を超えて高く評価される。戯曲も新劇系を中心に多くの演出家によって上演され、現在にいたるまで根強い人気を誇る。1960年代頃から、民兵組織「楯の会」を結成するなど政治活動に傾倒するようになり、1970年11月、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現在の防衛省)へ乱入し、かけつけた自衛隊員らにクーデターを呼びかけ、そののち割腹自殺した。代表作に、長編小説『金閣寺』(1956)、戯曲『鹿鳴館』(1956)、短編小説『憂国』(1961)など。

ノート

 本作は、いちど劇団なかゆびで上演していることもあり、落ち着いた長さでノートを書くのが難しい。上演したあとの読書になるが、井上ひさしが「ダメになっていきました」と一言で即断している(『芝居の面白さ、教えます 井上ひさしの戯曲講座 日本編』)のに対して、別役実が、「関係の演劇」と副題をつけて『サド侯爵夫人』と関連付けて長々このドラマツルギーについて書いているという落差は興味深い(別役実『ことばの創り方』)。
 ところが、別役実もドラマトゥルギー、もっと漠然とした言い方をすれば全体の構造にしか言及していない。しかし、この戯曲を開いて読んでみたものなら、だれもが面食らうのは、第二幕におけるシュトラッサーがレームに政権転覆をもちかける「史実にはない」場面における、長大なセリフであるだろう。素直に解釈すれば、シュトラッサー役は、このセリフを、

(シュトラッサー、露台の欄干に背を持たせて語る。ときどき鳩にパン屑を投げてやりながら)

三島由紀夫『わが友ヒットラー』新潮文庫、168頁

というものすごくシンプルな動きのみで発さねばならない。三島の指示に忠実に従いつつも、「飽きない時間」を創出するのは、至難の技であると私は思った。なので、「ああいう演出」になったわけであるが、ドイツ座で Ismene schwester von 観た体験から、三島の指示に忠実に従うという方向も、今なら考えられるのかもしれない。

 なお、この戯曲を上演するにあたっては、少なくとも演出家は、「最低限の知識」として以下の著作にはじめに触れておいたほうがいい。もちろん、この二冊だけではまったく不十分である。人によっては最低限ですらないと言われるかもしれない。とりあえず、挙げたにすぎない。

石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』 (講談社現代新書)

小野寺拓也・田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか? 』(岩波ブックレット 1080)