【ドイツ 演劇】Ismene, Schwester von(ステファン・キミッヒ『イスメネ、〇〇の妹』) ――2024年11月16日 ドイツ座 Deutsches Theater

演出:Stephan Kimmig(ステファン・キミッヒ)
出演:Susanne Wolff(スザンヌ・ヴォルフ) 
観劇日:2024年11月16日
初演日:2014年3月21日
上演時間:1時間(休憩なし)

 ドイツ座(Deutsches Theater)に向かう。はじめて行ったときは、携帯電話を紛失していたので一時間の道のりの地図を暗記し、徒歩で向かった。ブランデンブルク門との位置関係さえわかればある程度どうにかなる。近くに森鴎外がかつて下宿した場所があり、これは徒歩で向かったおかげでわかったことである。

 Ismene, Schwester von(イスメネ、〇〇の妹) は、必見と太鼓判を押され、連絡をいただいたその日はちょっと厳しかったが、この日(11月17日)なら行けるとわかったので、予約した。四列目シモテから4席目くらい。

 舞台はとてもシンプルで、舞台の背景に空いた小さな穴から半間もないほどの間口の道が最前列の客席ギリギリにまで伸びている。その構造のせいか、前二列くらいまでの中央の客席は潰されていた。それだけでかなり迫りくるような印象を与える舞台構造である。シンプルなのは舞台美術だけではない。身も蓋もない言い方をあえてしてしまえば、小さな穴から俳優が出てきて、その場でほぼ動かず、話し続けるだけである。衣装も、そのへんですれ違っていそうな中年のドイツ人女性という感じで強く主張するものはない。

 C1まで進んでも、セリフの3割くらいしかわからない。そして文脈を捉えることもままならない。数分間のZuhörenのテキストですら、いつもテーマを見失うのだから仕方がないといえばそうなのだが、こうして絶望を感じる時間を持つことはすぐ調子に乗ってしまう自分のようなタイプにとっては重要である。字幕もなく、まったく外国人を向いていない意識で満たされていてかつ、安全な空間は劇場しかないように思う。

 ただし、それでも俳優の絶技だけは理解できた。基本的に終始、観客に語り掛ける形式だが、そのなかで少しの笑いを誘おうとするところや、ゆるやかに激昂していくタイミング、その展開。手に持っているチョークを弄ぶさま(途中でポケットにしまう)、抑揚と、こうしたものの組み合わせがかなりち密に設計されていて、最後まで集中して見続けることができた。ところどころにせき込む観客がいたが、おそらくそれも ad hoc に捉えるだけの柔軟さもあった。もちろん、Tochter (娘)とか Vater(父)くらいは聞き取れるので、彼女、Ismene がそれぞれに対して持っている感情の複雑さがわかる。この複雑さを、つまり一様なものではなく、愛憎入り混じったものとして、演技に出力する妙技が、初演から10年経っても上演され、またこの俳優が高く評価されている理由なのかもしれないと思った。

 やや奇妙に見えるタイトルについても、これはドイツ語がもっとわかっていないとその意味するところを測りかねた。観劇後、上演にかんするいくつかの記事を読んでみたが、それはもはや自分の印象ではなくなってしまうので、ここでは言及しない。自分のドイツ語の力の変化を推し量るうえでも、また観る機会があることを願う。

 また、観るたびに宿題が増えていくが、ギリシア悲劇の理解も一層深めねばならない、というかちゃんと読むべきである。戯曲研究会で扱いたいのだが、残念ながら著作権切れの訳書を見つけられなかった。少し掘ってみよう。そして、歴史的にギリシアの文献はいったんイスラームを介してから、ルネサンス期にヨーロッパへと「戻ってきた」ということの影響についても知りたい。劇作家くずれのプラトンの著作ばかり読んでいるわけにもいかない。