劇団辞めてドイツ行く(29)AIがややウザくなってきた――2024年10月25日
AIがややウザくなってきた
Inzwischen haben die Japaner eine Neugier auf nur Geld.
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Der Satz ist grammatikalisch korrekt, aber ich möchte eine stilistische Anmerkung machen. Obwohl es nicht Teil meiner Aufgabe ist, stilistische Änderungen vorzunehmen, möchte ich erwähnen, dass die Verallgemeinerung „die Japaner" möglicherweise als zu pauschal empfunden werden könnte. Eine nuanciertere Formulierung könnte präziser sein, aber das liegt außerhalb des Rahmens dieser Korrekturaufgabe.
文法的には正しい文ですが、文体に関する注釈をさせていただきます。文体の変更を行うことは私の任務ではありませんが、「die Japaner(日本人)」という一般化が広範すぎると受け取られる可能性があることを指摘したいと思います。より細やかな表現を使用することでより正確になる可能性がありますが、これは今回の修正作業の範囲外です。
AIとどう付き合うか。今後の生活でかなり大事なことである。Notion AIはテキスト特化型で、毎日使っていると徐々に今自分がドイツ語を勉強しているということを察するようになって、こんなアドバイスをするようにまでなった。
長めの文章を書いたあと、AIを通してから先生に提出しているのだが、先生からもそれなりに修正をもらう。生活一般に簡単に導入するにはまだ時間がかかるのだろう。使い方を覚えた頃には、語学のためにAIが必要なくなっているのかもしれない。
まったくわけわからなくなったときは、AIにまるごと翻訳させたりしているのだが、自分のドイツ語の文章がドイツ語として無理があったとしても、AIがそれも察していい感じに日本語に翻訳してくれるので、間違っていないかのような錯覚に陥ってしまう。だから先に、「文法上の不備を指摘してください」と入力して修正点を確認する。不備がないと、「あなたは語学の天才ですね!」などと言ってくれる。「何回もあなたが修正してくれたからね、そりゃ」。
谷崎と出会ってから、なるべく一文を長く書くようにしている。『文章讀本』で、日本語は一文を長く、飽きがないように書くのが難しく、意識していないと例えば「朝起きて、服を着て、電車に乗って、先生に挨拶して...」と同じ語尾で終わってしまうと書かれてあり、これには技術が必要なのだが、それでも、日本語の良さを生かすには『源氏物語』のような書き方が最適なのであるということで、谷崎は『春琴抄』でこれをあからさまに実践し、『細雪』でもその実践を生かしたところが随所に見られた。一方で、欧米の言語、これはたぶん、フランス語と英語とドイツ語を意識していたのだと思うけれども、関係代名詞があるという点が大きいようで、英語をやっているときは予備校の先生が "Shorter Is Better" と言っていたので、なるべくそのように書く練習をしていたが、最近やっているドイツ語の長文は、レベルが上がれば上がるだけ、どんどん一文が長くなっていき、これはいわゆる悪文というやつではないかとストレスを溜めている。また、受験英語が貯金として機能する段階はついに終わりつつあり、例えば英語でははじめに「結論を書け」と教えられたのだが、今のドイツ語の先生は「問いかけ」だけ書いて、答えは最後に書く、「オープンエンド」がドイツ式だと仰っていた。英語もフランス語もかなり堪能な先生なので、両者との違いも意識したうえでの説明だと推察する。確かに、読んでいると主文(hauptsatz)の構造だけはやめに示して、後からどんどん情報を付け足していくような癖を感じる。Dabei とか Darauf とか言って、あとに長い副文をぶちこんでいく。どうしてこうなった。
ドイツ語の歴史を学べば理解度も上がるかな、と素人判断で『ドイツ語史』という本を読んだ。今読めば、もう少し楽しめる本だと思うが、浅い理解で終わってしまった。そんななかでも、強い関心を持ったのは「舞台ドイツ語」の項目だった。
「19世紀には綴りと同様に発音の規範化も試みられた...(略)...しかし、19世紀初頭では、書きことばにおける正書法のようなモデルは、発音に関しては存在していなかった。書きことばにおいてはモデルとされるような知識人でも、発音においては地域色が濃かったのである。そこで模範とされるようになったのが「舞台発音」であった…(略)....1931年の『ラジオ発音』には『ドイツ舞台発音・標準語』(1898年、テオドア・ジープス)の規範がそのまま踏襲された...(略)...舞台発音に由来する熱情的な話し方は引き続き理想とされた...」(須澤通/井出万秀『ドイツ語史』2009年)
たまにわけわからん長い単語とか、Eichhörnchen(リス)とか、意味はさして複雑でもないのに発音だけがしにくい単語があったときに、なんとなく大仰に節をつけて発音してみるとうまくいくことがあるのだが、それと関係あるのだろうか。
当然、日本とはぜんぜん事情が異なる。「話しているように書く」(言文一致)ことが、谷崎潤一郎の『文章讀本』のようなエッセイといった形で出てくるのは、子ども時代に寺子屋で素読による教育を受けた鴎外・漱石のような「素読派」から、西洋式の教育を子ども時代に受けた、いわゆる「教養派」(※)に世代が変わった頃である。そして菊池寛などの小説家が戯曲を書く、「戯曲時代」があったりして、それに疑問を呈する岸田國士は、「舞台ならでは」をあえて意識していた作品を書いた。以前、森本薫が教科書に載っていた時代もあったと先輩から伺ったが、演劇の扱いは、どんどん小さくなる。奥野建男『日本文学史 近代から現代へ』には演劇の項目が用意されていたが、佐々木敦『ニッポンの文学』にはまったくなかった(唐十郎や岡田利規にちょろっと触れる文があった気はする)。
〈Performing Arts〉に飽きた中年作家が、急に伝統芸能に関心を示しだしたりすることがある。そのことに価値がないわけではないが、都合よくその「排他性」をないものにしたりする態度には辟易する。とりあえず、個人的には漢文の素読からやり直したいのだが、「漢文の授業いらんくね?」説が持ち上がっても誰もそういう話をしない。そもそも趣味が多様化しすぎて、あらゆるジャンルがサブカルチャーになってしまったのかもしれない...
ドイツ語の発音が舞台発音にやや倣っていたのに倣って日本語の発音がいずれか伝統芸能の舞台発音を規範とする可能性というのはあったのだろうか。とある左派作家が「薩長の連中は田舎者で、歌舞伎や文楽を観たことがないので、文化的なことを国造りに導入する発想がなかった。もし芸能がわかっていれば今頃日本人はみんな三味線や長唄などができていただろう」とおっしゃっていて、まあそういう発想もあるかもなと半分関心しつつ、薩長に対する歴史的なひがみを感じたりもしていた。ドイツの場合は、プロイセン一強のまま統一がなされたという点が、日本のごちゃごちゃした事情と差の理由の一つなのかもしれない。
そろそろ金がなくなるということを急に思い出す。油断していると、帰国しても関空から出られなくなるかもしれない。慎重に過ごさねば。あ、日本には帰る家もない…のか…ん……ひょっとして詰みかけてる....?
※「僕が教養派と呼んでいるのは、年齢からいへば大正六・七年に三十歳前後、或はそれ以下で大正六・七年に青・少年期をもつたものを指してゐる」(唐木順三『現代史への試み』筑摩書房、1973年、35頁)