【ドイツ 演劇】Pop, Pein, Paragraphen ―― 2024年10月22日 マクシム・ゴーリキー劇場 Maxim Gorki Theater
Pop, Pein, Paragraphen
コンセプト・映像:CEM KAYA
プレミア:2024年9月6日
観劇日:2024年10月22日
またゴーリキ劇場にきた。駅からだと、やはりまだ自信がなくてグーグルマップを見てしまう。
早めに行っても、だいたい10分前開場なのでとくによいことはない。なんかわちゃわちゃする相手でもいればよいのだが、そういう状況でもない。レパートリー制というのは、日本ではあまり想像がつかない。先週観た俳優が別の演目でまた主要な役を演じていたりして、観客としては一人の俳優のいろいろな姿を見られるのはいいのだが、学生の頃「この公演が終わったら演劇一回休みたい」などと毎回供述しているのに結局すぐに次の稽古に入っていった人たちのことを思い返して、状況の大きな差を感じる。
ヨーロッパ中心的な歴史観でいると、多くのことを見落とす。もともとは、ヨーロッパの国々なんて雑魚の集まりで、モンゴルやトルコの襲来におびえて暮らしていたのである。1241年のワールシュタットの戦い(リーグニッツの戦いや、1543年のコンスタンティノープル陥落、16世紀と17世紀には二度にわたるウィーン包囲などがそうである。それがどういうわけか、産業革命を経て、ローマ帝国のやり方に倣いつつ、あちこちに植民地を持ち、「列強」などと呼ばれるに至ったのである。
途中でトークを交えつつ、映像を鑑賞するのが主なのだが、いろいろな場面で、ムスタファ=ケマル・パシャの肖像が登場する。それはおそらく各シーンの主題ではないのだが、「ああ、ほんとうに アタテュルク(父なるトルコ人)なのだな」と思っていた。
マクシム・ゴーリキー劇場の共同芸術監督の一人、シェルミン・ラングホフ(Shermin Langhoff)は、9歳のとき、トルコから来独し、映画業界で働いていたらしい。2013年に彼女がゴーリキーが芸術監督になると、観客層がかなり若くなったらしい。そのほかにも、2003年にトルコ・ドイツ映画祭をはじめたり、「ポスト移民社会 Postmigrantische Gesellschaft」という用語を生み出すなど、移民に対する社会意識の変革を目指してきた。Cem Kaya による本作も、そうした彼女の動きの一連にあると考えられる。
はじめのほうだけ、とても簡単なドイツ語があったので聞き取れた。英語字幕もあるので、理解できる部分はいつもより多いのだが、檀上では英語、ドイツ語、トルコ語と行き来するので、途中からかなり混乱して負えなくなってしまった。ドイツ語と英語は、聞けばそれがすぐ何語か理解できるのだが、トルコ語はまったくわからないというか、どこからトルコ語なのかなども判別できない。そういえば今在学している語学学校にもかなり多くのトルコ人がいて、共有スペースでワイワイしている。入学当初はぜんぜんわからないがたぶんドイツ語だと思っていたので、落ち込む要素の一つになっていた。しかし、何人かと話していくうちに、「え、あの子も、君も、みんなトルコなんだ」となってまあ、それは仕方ないかと思うようになった。とりあえず「エルドランは好きかい?」と聞いてみると、みんな「Nein..」と苦い顔をする。また、未視聴だが、ネットフリックスで少し話題になった「ドント・ディスターブ」の主演俳優は、トルコではかなり有名はコメディアンらしい。隣のトルコ人が、「僕は日本人が好きだ、みんな丁寧で礼儀正しいからね」と言っていた。
明治時代、まだトルコがトルコ帝国だった時代に、エルトゥールル号事件というのがあって、それ以来、トルコと日本は友好関係にある。時折、日本でも取り上げられる話なのだが、なんとなく遠くにある国という印象しかなかった。しかし、ベルリンではぜんぜん社会的なリアリティが違うということが本作を通じてわかった。スキンズによる襲撃。日本とも同じように(例えば『福田村事件』)、恥ずべき歴史を持っている。若手のなかでは、政治性の強い作品を上演し続けてきた自分も、これからどのようにして戦うのか、考えねばならない。