劇団辞めてドイツ行く(27)外国語とか、異文化とか、教育とか――2024年10月14日

外国語とか、異文化とか、教育とか

 京都学派の西田幾多郎は、語学が不得手だったらしく、フェノロサより後に哲学を講じていたケーベルとうまくやりとりできなかったらしい(菅原潤『京都学派』講談社現代新書、2018年、40頁)。また、カントは、自分の思想が強烈すぎて、他人の思想に入りこんで考え、理解することができなかった(黒崎政男『カント『純粋理性批判』入門』講談社、2015年、16頁)。

「外国語を知らないものは、自国語も知らない」というゲーテの言葉を強く信じているというそれだけのことが、海外へ行ってみようという動機の根本にある。現在担当している先生が、あるとき、Nicht übersetzen, Nicht kompliziert. Einfach denken sprechen oder schreiben. (翻訳するのではない、複雑にするのでもない、簡単に考えて、話して、書いて)と仰っていて、もちろんそのことも重々承知しつつ、持っている武器が少なすぎて、使い方も説明書を見ながらだとほんとうに遅いし、遠い感じがある。が、もっと先にいる人に話を伺うと、結局外国語なんか、永遠に限界づけられる運命にあるのではないかと思われる。マゾヒスティック極まりない。

 そんなことを言いつつ、とりあえず読むならなんとかこなせそうなので、何かしらの本を手に入れようと思う。もともと言語にかかわらず、人と話すのは頗る苦手である。日本の演劇史なら、いろいろ濫読したけれども、自分がまったくヨーロッパの状況について事前に学んでいなかったことに気が付いた。エリカ・フィッシャー・リヒテ『演劇学へのいざない』は読んでいて、そこでシュレーフ演出のイェリネク作『スポーツ劇』に興味を持ったくらいの浅知恵である。というわけで、アマゾンで買うか、古本屋に時間を見て足を向けてみるつもりである。

 日曜日は、Komisch Oper を観に行った。会場は、「シラー劇場」というが、ややこしいのは、財政悪化によって1993年に閉鎖され、一時的に貸し出されているとのことである。Komisch Oper の本来の会場は現在改装工事中なので、そのときのための一時的な仮住まいということである。10月13日はオープン・デイというものらしく、子供向けの企画や特別なコーナーが設置されており、会場は幼い子どもがいる家族連れであふれかえっていた

 会場に着いて、プログラムを鑑賞することにした。席に座ってから、自分がプロのクラシック音楽を会場でちゃんと聴くのが初めてであることを思い出した。芸術教育をまったく受けていない、むしろそういうものすべてを憎んですらいた、文化なき国育ちの野蛮人なので、どこでも異世界に感じる。子どもたちは、子どもらしい反応をする者も多く、親たちはたいへんそうだったが、ところどころで突然集中し出す子どもを見ると、きっと何かを受け取ったのだろうな、と思って豊かさにホッとする。

 今回は二階席から聴いた。人込みに飲まれて二階席になってしまったが、前々回、前回と音楽が主軸にある作品を、前のほうで観たので、後ろからも観てみよう、というのもある。ウクライナ語とドイツ語で平行して演じられる。演目は、『ピーターと狼(Peter und der Wolf)』。子ども向けということもあり、発語も演技も何もかもわかりやすい。やや聞き取れた。途中、一階席でもめ事があったようで、演奏が中断されるに至った。あまりに大きな声で何かを叫んで衆目を一挙に集めていたので、子ども向けなのにパフォーマティヴな演出だなあと思ったが、ふつうにトラブルだった。何で口論になったのかは定かではないが、これだけ大人と子どもでごった返すならトラブルもそれなりに起こるだろうなと思った。そしてトラブルが起きたときに何人かずつそこに集まっていく感じは世界どこでも変わらないもので、結果的には両者ともに劇場を後にしたようである。こういう体験も子どもにとっては後々重大な意味を持ったりする。

 「子どもと触れ合わなければ、人は自分第一になって、社会のことなんか考えなくなる」と誰かが言っていた。少子化に無策を貫いた日本は、そういう傾向にあるように見える。それでも、子どもは生まれてくる。学生の頃の授業、音楽も美術もダンスも全然楽しくなかったなあと思う。ダンスなんて破壊的だった。そのせいで今でも人の言う通りに動くのが大嫌いである。そして、一部の人々にそういう鬱屈とした感情を持たせ続けたことは、文化芸術に予算が割かれなくなっていくことを助長したと思う。この話題は『文化なき国から』で一度主題化したので、作品の全面に次に出るには時間がかかるかもしれないけれども、今回のオープン・デイの様子を見て自分のような人間が今後出てこないためにも、何かしていかなければならないと思った。