劇団辞めてドイツ行く(25)劇場目前で足をつる――2024年10月5日

パリに行くが、テンションがあがり、劇場目前で足をつる

 朝10時にパリに到着。夜行バスではそれなりに睡眠することができた。泊まり用の着替などに加えて、1リットルの水と課題のための教科書を持ち運ぶ羽目になり、だいたい13キロと、これがいけなかった。しかもパリにはトイレがあまりないと聞いたのでなるべく飲み食いなしで歩くことにした。これも水分不足につながったようで、よくなかったのかもしれないが、悪いのは気軽にトイレに入れない、パリの都市設計である。

 まず、充電が残りわずかだったため、充電できる場所を求めて、30分程度で着けるポンピドゥー・センターを目指したが、長蛇の列を見て諦め、日本では意地でも利用しなかったスタバに入り、小一時間充電した。独学のフランス語検定3級だとこの程度でもしんどい。

 さらに30分歩けばルーブル美術館があるのでそこを目指してみたが、途中で会った日本人の男性に聞いてみると、予約しないと入れないとのことだったのでこれもまた諦めた。さらに30分歩けばロダン美術館があってそこなら予約なしでも入れそうなのでさらに進み、やっとの思いで到着したロダン美術館にて鑑賞、モネの作品もあって楽しめた。14ユーロ。そこからさらに30分歩けばエッフェル塔だった。せっかく来たのでエッフェル塔を目指す。途中のカフェで30分ほど休む。

 エッフェル塔から劇場への道のりを検索。ギリギリになりそうで焦る。バス停で切符の買い方がわからず、ボブ・マーリーみたいな髪型のアフリカ系の運転手に聞いた。バスの運転手から買うことができた。その運転手が自分の乗るべきバスの運転手だったのだが、グーグルで出ていた道と真逆に進む。死ぬほど焦ったが、間違えたのは運転手のほうだった。

 バスの到着がやや遅れ、地下鉄への乗り換えがギリギリになり、パリを疾走、なんとか間に合いそうな電車に乗り込んだ。しかし、車内の案内板からして途中から路線が変わるようなことが書いてあった。このバスは、Gabriel Péri に着きますか、と隣に立っていた青年に聞いてみたら、「私はスペイン人で、英語が分かりません」と言われたが、スマホを使って指差しと翻訳でなんとか伝えてくれて、いったん次の駅で降りた。次にきた電車に乗ってそれが無事、劇場までの最寄り駅Gabriel Péri に着くことがわかり、安堵する。

 駅の改札を出、地上に上がる階段の最後の一段手前で足をつる。まったく動けなくなり、その場でうずくまる。Ça va? (「大丈夫?」)」と声をかけてもらったりしたが、とにかく足を揉んで治るのを待つしかない。劇場まであと徒歩10分。パリで独り、このままどうなるのかと思ったが、なんとか立ち上がって劇場に到着する。

 2列目くらいのところの客席に入る。座席に激重の荷物を置いて、トイレに発つ。そして客席に戻ろうとしたら、客席間の階段で再び足をつり、動けなくなる。そもそも遅れ客が多く、開演は押していたが、すでに開演時間。二度目の絶望を味わう。かきすてられない旅の恥である。足が伸ばせる後ろの席を案内してもらう。マジ申し訳ねえ。

 作品は、ここまでのことをすべて忘れさせてくれるぐらい最高な出来だった。これは別で書く。終演後、英語、フランス語、ドイツ語をぐるぐる回しながら話した。Il est temps de partir!? だけでも覚えおいてよかった。ほかにも je ne peux pas comprendre. とか、je peux parler français, mais juste un peu... とか Elle est une bonne actrice.とかギリギリ言えてよかった。ドイツ語が一段落したらもうちょっとフランス語も楽しめるように勉強したい。

 パリ最高すぎた。5時間は歩いたが、どこまで行ってもパリが続くようなところがある。地面は日本のほうが圧倒的に清潔だが、よく言われるように街並みが美しい。科学的現実より印象を重視するのだろう。またベルリン以上にいたるところにアートがある。平田オリザの本や、日本記者クラブの会見を見たあとに自分でも文化政策の対GDP比を確認したが、やはり圧倒的な予算規模である。それでも、アートよりもトイレや衛生環境にお金をかける日本のほうがいいと、街を歩いた結果思ってしまったのは否めない。そういうことを忘れさせるだけの魅力ある風景や雰囲気であることもまた事実なのだけれども。

 晴れて過ごしやすく、美術館にも劇場にも行けておいしいものも食べられて、とてもよい時間だった。深く感謝したい。これを節目としてベルリンに戻り、次の飛躍のための準備をする。