劇団辞めてドイツ行く(23)「爆発したら友達できた」――2024年10月2日
「爆発したら友達できた」
語学学校からメールが届いた。
10月3日は、ドイツ統一の日ですので、授業もお休みです。休日を楽しんで!
とのことであった。当然、ドイツにも休日はある。店はやっていないところも多いようなので、買い出しに行っておかなければならない。読まなければならないものがあって、昨日を丸一日をかけ、そのうえ課題をこなさなければならなかったので、寝るのが夜4時になってしまった。もう夜勤ではない。健康のためにも夜に寝られる生活を取り戻したいのだが、あれやこれやとやっているとすぐに時間が消える。ダラダラすべきではない。
ここまでほぼ自炊で粘ってきたが、レンチンだけですぐ食べられるものが徐々に増えていく。電子レンジのワット数もすぐにわからないし、何分必要なのかもすぐにわからない。こういうパッケージデザインも日本と違うし、そもそも電子レンジのワット数もどこに書いてあるのか把握できない。日本だと表面に、「600Wでそのまま4分!」とはっきり書いてあるのだが、ここまで買ってきたものは裏側に小さく「〇〇W約4分」という記述があるだけである。日本だと、「袋を開封せずに」レンチンするタイプのレトルトカレーがある。小さな空気穴が開いているので、そのままレンジに入れるだけで済む。
疲れていて、裏面を雑に読んでしまったので、開けずに4分かな?と思い、電子レンジをセット、ほかのものを取りに離れているあいだに爆発してしまった。「爆発したで」と、トルコ人が教えてくれた。その流れで、いろいろ話すことになって仲良くなった。ギリギリ雑談程度なら話せるようになった。「どこから来たん?」に始まって、「君はどこから?」と聞くと、「当ててごらんよ、簡単さ」と言われた。まったくヒントがなく、ぜんぜん当てられなかった。そういえば、寮にはかなり多くのトルコ人がいることに気が付いた。クラスにも二人、彼がいつも話している女性も、彼と同室の男性もきっとトルコ人だろう。話している内容がまったく聞き取れないわけである。自分がドイツ語がぜんぜんできないせいじゃなくてよかった。「僕は日本人が好きだ、これまで何人かここにいたけど、みんな礼儀正しくて、いいやつさ」「今日は君と知り合えたのでいい夜だ」
陽気で楽し気な人である。深い会話はできなかったが、世界史でトルコのことは結構やったので、そういう話ができればいいかもな、と思った。あと普通に名前を聞くのを忘れた。到着時に、キットカット配ったのでこちらの名前は知っているかもしれないのだが、次タイミングがあったら聞きたいと思う。共用のキッチンでそのうちあるだろう。
観光、雑談、生活レベルなら、どうにかなるようになってきた。そろそろ次の行き場を探さねばならないのだが、その時間もできればドイツ語を勉強したい。この三か月でドイツ語を全力でやりきって帰国したのち、再び別のビザで入国するようにしたほうがいいのではないかという考えが日々濃くなっていく。いずれにしても、大学へ入学しないとドイツで観劇以外の方法で演劇にかかわるのは難しいらしい。同じ寮にいる者は、ドイツ法学を、フンボルト大学で学ぶことを目標にしているらしいのだが、そういった具体的な目標がないのが、今どうしても漠然と過ごしてしまいがちな原因であろう。3か月ドイツ語に集中したのち、いったん帰国、日本で態勢を立て直したほうがいいのかもしれない。入国前にいろいろありすぎて、入国すること自体が目的化していたようなところがある。
ただ、ワーホリビザは「働くこともできる」といった自由度が大きな特徴であり、ここで帰国してしまうとそれが再びできなくなり、「もったいない」。アンメルドゥングも済ませたので、家・職探しをすればいい。悩んでいるうちによい選択肢は失われてしまうし、お金も日々どんどん減っていく。
とりあえず、思いつく限りのベルリンの劇場に働き口がないか、履歴書とポートレイトを添付してメールを送ることからはじめよう。学生証が有効かどうかの問い合わせのレスポンスの早さからして、そのメールも返事がくる可能性が高い。道を切り拓かねば。