劇団辞めてドイツ行く(20)人の話を聞けない――2024年9月25日

人の話を聞けない

 今日はテストだった。聞く、書く、話す、読む、文法を問われる内容で、やはり聞くと話すに難を抱えていることが浮き彫りになった。「話す」の試験は、そういえば、人生において初めてだった。外国語を本格的やらない限り、日本では大学を出ていてもほとんどない形式だろう。確か、自分の受験時期はセンター試験の英語でリスニングが導入されて間もない頃だったと記憶している。

 ホテルで働いていたときも、相手の言っていることがよくわからないという場面がよくあった。いろいろな国から来ている人がいるので、訛りも多岐にわたり、ヨーロッパ・アメリカ以外のパスポートを持った人の英語はとにかくわからなかった。それでも、文脈があれば、なんとかなる。スーツケースを持っているならチェックインか、当日予約、持っていないなら、チェックイン済で何か困りごとか、観光案内と判断できる。ホテルという限定された環境と情報的優位が、落ち着いた対応を可能にする。それでも、ときどき意味がまったくわかない。内線での対応だと、視覚情報がゼロになるため、聞き取りの力がなければ何もできない。例えば、”safe” が開かないと言われて、とりあえず部屋に行ってみたら “safe” とは金庫のことで、暗証番号を忘れたので開けられなくなったため、代わりに開けてほしいということだった。これで “safe”というのは、金庫のことである、というのを覚える。滅多にないことなので、一週間もすれば忘れてしまう。こういうのを繰り返して、頻出で、必要な単語を、順番に記憶していく。それでも、ホテルの仕事で必要な単語ということに限定すればかなり少ない印象である。あとは、文を組み立てることができれば、なんとかなる。

 ただし、この文を組み立てるというのもいくつかステップがある。はじめは、単文、そこから複文に行けるようになりたかったのだが、これが中途半端なところで終わってしまった。よくある質問で、「京都駅から清水寺に行くためには、どの手段がいいですか」というのがある。これを、「タクシーがいちばん早くて簡単です。しかし、それは高いです。バスが安いです。しかしそれは、複雑です」と言うのに、「もしお金を節約したいなら、バスが安いですが、もしお金があるなら、タクシーをおすすめします」とか言いたくなってくるわけである。書くなら、それはそれほど難しいことではないのだが、その場で考えて言うとなると、詰まってしまう。同じことを、違う人に何回も聞かれているうちに、言えるようになっていったりしたのだが、もちろん、同じ構造で違う内容になるとあたふたする。それでも、彼らの多くが、休暇中であり、それは人生のなかで余裕のある時間なので、文章の粗にも寛容になってくれる。

 それにわからないときは、質問に質問で返すいいという技も覚えた。「あなたが言っているのは〇〇についてのことですか?」と言ってみればイエスか、ノーかで帰ってきて、またそのほかの文脈(朝なのか、夜なのかでわかることが多い)も頼りにしつつやりとりしていけば、なんとか答えにたどり着くことができる。

 ところが、今はドイツ語でそもそも基本的な文の組み立てもできない。質問に質問で返すこともできないし(疑問文の語順…は…と考えるラグが入る)、単語も素早く出てこない。それに相手の言っていることもわからない。先生のドイツ語も、単語を拾ってようやく今日のトピックや試験の順序とかを「推測」するという段階である。何もかも類推で乗り切ってしまっている。確かにコミュニケーション一般において、文脈を見ていろいろなことを推測する力が重要になる局面もあるし、劇作ではこのような手段、例えば時間、着ているもの、持っているもので何かを暗示するといったやり方が、結構重要なポイントだったりする。しかし、それはあくまで言語によるやりとりが安定していてしっかり軸にあるということが前提にある。今、あまりそこに依存するべきではない。とりあえず、その辺に無数にドイツ人がいるので、なんとか話す機会を増やしていく必要がある。

 読解、筆記、文法は、それなりのレベルになってきた。まだ間違いが少ないとは言えないけれども、なんとか戦えるレベルには来ている。とくに読解は受験期の読み方が役に立ってしまっている。これは「構え」とでもいうもので、段落が6つあって、問題が14個あるということは、一つの段落に対して2、3問が割り当てられているとか、問題文を読む前に、問いの文から読んだほうが効率がいいとか、ここの固有名詞は、この段落で初めて出てくるとか、これは筆者の価値判断でこちらは例示、とか、仕様もないテクニックだが、こんなものでも、ないよりは大分マシである。

 リスニング hörenと スピーキング sprechen は、これまであまり向き合ってこなかったところである。演劇をはじめてからは、この部分は日本語に全振りしてしまった。しかし、今ゼロから自分の言葉を作っていくことで、それが日本語での劇作にも帰ってくるということに期待したい。