【ドイツ 演劇】THE HUNGER――2024年9月21日 フォルクスビューネ Volksbühne
「学生証もらえんの知らんかった/金がほぼもうないが、働けねえ(実際には働きたくない)」
フォルクスビューネに来た。歩きで1時間。ウンター・デン・リンデンからフンボルト大学、マクシム・ゴーリキー劇場を横目に進み、アレクサンダー広場も過ぎて、ローザ・ルクセンブルク通りへ入る。1時間歩いた。すごい疲れた。歩きでこれるのはここが限界か。いい加減、公共交通機関を利用しよう。
チケットは23ユーロ。学生なら9ユーロで入れるのだが、学生証がない。そういえば学生証はもらえるのかと思い、渡航前にもらったメールを確認する。案内資料の一番下に、「パスポートサイズの写真を持ってきたら学生証渡せます」と書いてあった。もう金曜日の夕方だったので、土日の観劇には間に合わない。ドイツにも「証明写真」がいたるところにあるようなので、月曜日に持っていかなければならない。
土曜なので、昼には買い物に行った。ほとんど自炊で過ごす。しかし、肉と草を燃やすやつのバリエーションばかりなので、そろそろ手を広げたくなってきた。トマトと鶏むね、ブロッコリーを買った。しめじが欲しかったのだが、どういうわけかスーパーになかった。チーズも買ったし、パスタも補充したから彩りが増やせるだろう。煮込んでつくりおきができるといいな。
Volksbühne am Rosa-Luxemburg-Platz
フォルクスビューネ Volksbühne は、ローザ・ルクセンブルク広場 Rosa-Luxemburg-Platz にある劇場である。Volks は、民族、国民、庶民を意味し、Bühne は、舞台、ステージ、文語だと劇場まで含意する。つまり、「庶民劇場」といったところだろうか。オープンは1914年なので、110年の歴史のある劇場である。二次大戦で一時焼失し、1954年に現在の形に再建された。フォルクスビューネのアンサンブルだったマリオン・ファン・デ・カンプが1989年の東ベルリン、アレクサンダー広場で行われたデモで演説するなど、壁の崩壊でも重要な役割を果たすものがいたらしい。
Constanza Macras/Dorky Parks
観劇日:2024年9月21日
今回はダンス公演だった。Constanza Macras/Dorky Parksによる新作 THE HUNGER(飢餓)である。会場は、Großes Haus といってたぶん800名くらいのキャパシティである。9割近く埋まっていて、今回も年齢層は幅広かった。ダンサーたちにアジア系がちらほらいるためか、観客にもアジア系、身なりからしてアーティストらしき者もちらほら見られた。開場はここでも開演10分前。さすがに5分遅れての開演となった。指定席なので、日本と同じように真ん中の席に行くために先に座っていた人が道を開けたりすると、小さい声で Entschuldigung (「すみません。。」)というので、いろいろな Entschuldigung が聞けた。前から聞いていた話だが、奥行があるというのがヨーロッパの大きな劇場の特徴なのだろうか。もうちょっといろいろ見なければならない(そういや日本の劇場もそんなに知らない)。
作品は、アルゼンチンの作家ファン・ホセ・サエルの小説『奇妙な目撃者』(Der fremde Zeuge des argentinischen Schriftstellers Juan José Saer)の一部からインスピレーションを得たものらしく、生物の起源にはじまり、スペインの入植が続き、日本で言えば、80年代、90年代のバブルの狂乱のような時代にいたるまでの歴史が描かれる。途中、ハプスブルク帝国ネタが入る。ただ、単に歴史の描写が続くだけなのではなく、非常に個人的なことの表現、いちばん印象に残るのは、結婚やセックスをイジる表現だったが、そのような表現が差しはさまれる。乱交に興じるものたちやブーケトスのときに花束を奪い合う女性。バラバラに散りばめられた動きにはそれぞれ個性がありながらも、統一的な演出の意思が感じられ、節目節目で一つの何かに集約され、それがまた拡散されたりをひたすら繰り返す。何かに必死になる人々のなかで、冷静なものがいて、淡々と話したりするので笑いを誘う。
今回も映像が積極的に演出に組み込まれていた。その場で実況カメラが入り、大きな幕に映し出されるだけではなく、一つの映像に別の映像がワイプで組み込まれ、さらにそれが縦横無尽に動いたりする。今まで観劇したすべての作品の演出に映像が入っていた。よくよく考えてみれば、これだけ気軽にこの技術が使える時代になって、演出に組み込まないほうが不自然なのかもしれない。
はじめと終わりのダンスで、身体の様々な部分を手でたたいて音を鳴らすのだが、これだけいろいろな歴史の旅を、それもあちこち放蕩してふざけまわるような暴走を経たうえで、最後に帰ってくるのは「身体それ自体」だという、ある種ダンサーらしい結論であると感じた。観客は皆かなり楽しんでいたように思う。自分も、この作品だけでもベルリンに来た価値があったな、と思えるほどの盛りだくさんな演出だった。
明日も観劇しようと思ったが、お金の計算をしてみるとかなり危機的な状況であることが、明白になった。学生証を手に入れて安くで観劇できる状態になるまでは控えねばならない。というか、このままでは2025年を迎えることができなくなる。しかし、働く時間もそのための語学力もない。3か月を濃密に過ごして、帰国することを考えてもいいと思う。正直いま、何よりも働くモチベーションが皆無であることを認めねばならない。いろいろ我慢しながら日本でけっこうがんばって働いたので、しばらくは働く気が起こらない。やっぱり150万では足りなかった。これを言い出すとキリがないのだが。働くことができるワーホリビザではあるが、「選択肢」としてあるというだけで、嫌々働く必要はない。久々に得た学生の身分である。とにかく勉強しよう。
そもそも日本に帰国しても、現在の金銭状況では、2025年が迎えられないことはほぼ確定している。日本、ドイツどちらにしても、11月末からは働く必要があるのだが、そのときに少しでも前よりマシな仕事に就くための3か月にしなければならない。