劇団辞めてドイツ行く(15)心にもないことを――2024年9月16日
心にもないことを
担当の先生は、フランス語も堪能なようで、フランス語圏から来ている学生の質問に対して、途中からこみいった内容だったせいか、フランス語で説明していた。Ich möchte sagen, “Je ne peux pas comprendre.” である。タバコ休憩中に、Muss ich auch französisch lernen?と言ってみると、langsam, langsam(ゆっくりね、ゆっくり)と言われた。まあそりゃそうである。
Sie war gerade angekommen.
Ihr Deutsch war noch nicht so gut.
この二つの文をつなげるのに最も適した接続詞は、bevor, als, während, seitdem のうちどれかという問いで、答えは Als だったのだが、なぜ bevor は不適なのか、という質問だった。1文目は、過去完了形で、「彼女は、ちょうど到着したところだった」という意味。2文目は、「彼女のドイツ語はまだそんなに良くなかった」という過去形の文である。
重要なのは、gerade という時間を表す副詞(Temporaladverbien)であり、bevor だとより長い「期間」でなければならない。bevor とgerade は食い合わせが悪いというか、同時に存在すると意味が通らなくなってしまう。だから、
Als sie gerade angekommen war, war ihr Deutsch noch nicht so gut.
「彼女は(ドイツに)到着してすぐの頃、彼女のドイツ語はまだそれほどよくなかった」
であって、無理やり bevor をあてはめて和訳すると
「彼女は(ドイツに)到着してすぐのときよりも前、彼女のドイツ語はまだそれほどよくなかった」
と妙なニュアンスを含んだ複文になるのである。Alsは、過去の一回限りの出来事を表現するのに適した接続詞である。念のためNotion AIにも確認してみたが、ほぼ同じ答えが返ってきた。
授業では質問しなくても、めちゃしゃべらされる。この前は何か発表しなきゃいけなくて、とりあえず、この前観たマクシム・ゴーリキー劇場の ENDGAME 24 について話した。それで、最後は Haben Sie Fragen? で締めなければならず、一人から「俳優の名前は何と言いますか」という簡単に答えられるように気を遣ってくれている質問が飛んできた。
俳優の名前、ふつうに忘れてた(いや、これが自分の本性なのかもしれないと反省したが)。俳優の名前まで記憶していなくて、でも何かを返す必要があるので、「重要なのは作品であって、個々人の名前ではない」などというまったく実際の自分の思想と異なる発言をしてしまって、今後なんとか挽回したい。
「作曲家とはつまり、自分の名前を作品に署名する人々のことだ。(…)「これは世界の他の誰とも違う『私』が作ったものである」というこの自我こそ、いわゆる芸術家と職人の決定的な違いだろう」(岡田暁生『西洋音楽史』2006年、42頁)
私もそう思うので、作品にかかわったすべての人々の名前(Wer/誰の)はとても大切である。もちろん、これにたいするアンチテーゼとして「無記名」ということに意味が見いだされることもあるかもしれないが、所詮アンチテーゼはアンチテーゼである。名前を、記名を、大事にしよう。