【ドイツ 演劇】DAVE (ラファエラ・エデルバウアー原作『デイヴ』、ヴィルケ・ヴィールマン)――2024年9月14日 ドイツ座 Deutsches Theater
ドイツ座に行ってきた
原作小説:Raphaela Edelbauer
演出:Wilke Weermann
出演:Alexej Lochmann, Lorena Handschin, Lenz Moretti, Bernd Moss, Almut Zilcher (映像出演)
初演:2024年2月29日
観劇日:2024年9月14日
そういえば、ヒトラーは嫌煙家だった。これは田野大輔・小野寺拓也『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』でも読んだことであるが、2024年に都心部でこれだけ屋外での喫煙が許容されているのを見るに、嫌煙=ナチのイメージが色濃くあって、その反発が街行く人々の、ガンガン歩きタバコをしている様子に現れている、と推測してみている。何もかもが総統の逆を行かねばならなかった歴史を感じ取る。ヒトラー自決直後、部下はみんなで一服したなんていう話も残っている。喫煙はドイツにおいて、ナチからの自由や解放を示す行為ともとれさえする。
それでも、タバコが身体に悪いという医学的事実は揺れ動かないだろうし、戦場ではむしろドイツ軍でも喫煙が推奨されていたとの記録もまた、この国が抱える矛盾や問題を指し示すものと考えることができる。「皆のなかに私がいるのだ」という『帰ってきたヒトラー』のセリフは、こうして街の様子を見ながら喫煙していると、骨身に染みるところがある。
ベルリンのドイツ座(Deutsches Theater)に来た(2024年9月14日18時30頃、開演は19時30分)。こう、わくわくする気持ちは久しぶりである。実際、日本でそれほど劇場文化に入り浸っていたわけではない。東京の大きな劇場なんて行ったことがないし、関西でも何ヶ月かに一度、ロームシアターに足を運ぶくらいだった。毎週末劇場に行くなんて、E9の支援会員だった半年間以来である。E9でやっていた作品はどれにも感動できず、最後の頼みだった地点の『ハムレットマシーン』があんまりな出来だったの行くのやめた。あの作品からは「わてらがポトスドラマのやり方教えたりまっせ」的ないやらしさを感じてしまった。
例によって徒歩で向かった。ポツダム広場からブランデンブルク門へ向かい、さらに北上、途中森鷗外の下宿だったらしい場所があって、そこから二本目のシューマン通りを右折、ドミノピザを横目にそのまま進むとドイツ劇場(Deutsches Theater)である。
1時間くらい早く着いてしまったのでレジでチケットを買い、周囲を散策してみたが、とくに面白いものはなかった。地下にレストランがあったが高そうなので持参したボトルの水で我慢する。
ブランデンブルク門のやや北に位置するドイツ劇場。その歴史は、1850年にまでさかのぼるという。演出家、俳優のマックス・ラインハルトの像もあった。どちらかといえば「古典的で」「保守的な」作風が多いらしい。
観劇した作品のタイトルは、"DAVE"というのだが、かなりシンプルである。タイトルで気を引こうとするのは日本の作品くらいなのだろうか。あるいは硬派な作品ほど、タイトルは簡潔になっていくものなのだろうか。DAVEは主人公の名前である。ラファエラ・エデルバウアー(Raphaela Edelbauer)という作家の小説を原作とし(たぶん上手最前に座ってた)、演出はヴィルケ・ヴェーアマン。原作のオーストリア小説家は、1990年生まれ、演出家は1992年生まれで、ともにかなり世代も近い。劇場は今回も小さい方に入った。100人以下のこれまた「小劇場」という感じだが、そんなサイズ感でも俳優は全員マイクをつけており、セリフがとても聞き取りやすかったし、マイクを使っていることを生かして、ささやくような声やエコーをかけるなどといった演出も含まれていた(ドイツ語版wikiで確認してみたら、80席のBOXというスペースで、ほかには600席のグローセスハウス、230席のカンマーシュピーレがある。そのうち行ってみよう)。
二作見ただけだが、どちらも会場10分前に入場開始であり、また開演前のスマートフォンの電源はお切りください的な挨拶もなく、なんの予告もなしに作品がはじまった。客席は8割程度埋まっていて、入場はスムーズに進んだ。チケットは、1人ずつQRをリーダーに読ませるマクシムゴーリキー劇場とちがって、目視で確認して、どうぞ、という流れで自由席である。利用しなかったがカバンやコートを預けるクロークがあり、目の前のおばあさまが手押し車を持って入場しようとしていたのを止められ、そのクロークに案内されていた。年齢層、男女比ともにドイツ劇場もばらけていた。ドイツでも日本と違わず、さすがに高齢者が目立つとはいえ、一見ではなさそうな若者(グループ、カップル、一人ともにいた)も少なくはなかった。初演は2024年2月29日。小規模作品とはいえ、初演から半年が経過して、この入りはすごいと思う(80席中、70くらいは埋まってた)。ドイツ人、演劇好きなのね。
チケットは16ユーロ(日本円で約2500円)と、劇場の歴史や俳優の発語から推測される技量を考慮するなら安いといっていいだろう。美術や衣装も若干の粗を指摘できなくもないが、それなりに凝っていて、同じものを作っても日本では赤字前提、助成金込みでも、4000円は下らないだろう。何がこの差を生み出しているのか。大方想像はつくが、とりあえずこれはカッコにいれて、眼前にあった現象を記述していく。
俳優は4名。Daveを演じる俳優以外の3名は、兼ね役しまくる、アンサンブルのような形。アンサンブルの演出は、日本なら同業者や見巧者に、Xでディスられそうなレベルの「軽さ」があった。自分も、もっと表情の演技を細やかにするか、仮面かそれに準ずるものを(VRゴーグルなどもあるにはあったが)、もっと効果的かつ細部にわたるまでつけたほうがいいのではないかとか思ってしまった。上演時間2時間。言葉がもっとわかれば、より楽しめるのだろうか。ただ、ENDGAME 24のように会場がつねに笑いにつつまれるような作品ではなかったことは確かである。
もう10年近く前になるが、市川先生が講義で「いま、ドイツの演出では必ずといっていいほど映像が使われる」と仰っていて、マクシムゴーリキー劇場でも今回のドイツ劇場でもともに映像か使われていた。今作DAVEはSFなので映像の使用は当然と言えば当然である。下手端に、テレビが置いてあって、はじめは単独で女性がモノローグするのだが、中盤以降デイブがそのなかの女性と会話するというシーンがある。そのシーンのときは、テレビが移動する(細かい指摘というか、スタッフみたいな視点であるが、テレビが移動するとき、電源コードをタイヤがちょくちょく踏みそうになっていて、そのあたりの処理、どうなってんだよ、美術さんと舞台監督さん、初日じゃねえだろう。最年長の俳優が明らかにそれに配慮していたが、演技にノイズが出てたぞ)。
SFではしばしば「覚醒」がターニングポイントとして使われる。映画『マトリックス』は典型例だろう。非現実から現実への移行、あるいは力の自認。DAVEでは、二回くらい「Dave Jetzt! Dave Jetzt! Dave Jetzt!…(デイブ、今だ!)」とひたすら繰り返す声がスピーカーから聞こえてくる。これは、誰の声かわからない。
DAVEは自分のいる世界に対して、抵抗を試みたりするのだが、それは挫折するというより、玉ねぎの皮をむくように、現実と非現実の飽くなき反転によって「ごまかされてしまう」。結末の表現においても、「どう生きるべきか」ははぐらかされていたように思うけれども、さすがに現在のドイツ語の力ではこれ以上きちんと読みとることができなかった。
ドイツ語の力を伸ばさねばならない。正直、言葉がわからなくても、わかる部分はたくさんある。それにかまけていては、自分が求める「深み」に立ち入ることはできないだろう。ということで、課題に取り組む。せめてあらすじくらいわかるようにならなければ。