劇団辞めてドイツ行く(1)2024年8月30日
劇団辞めてドイツ行く(1)ーー未完のプロジェクト
2024年08月30日 出発前日、行くまでの諸々をまとめときたかった
2024年4月に劇団を解散しました。それで、ソロプロジェクトということになったのですが、まだ公演の予定は確定していません。その前に、この身軽なうちにしかできないことをしておきたいと思い、どうにかして海外に行くことにしました。
ドイツ
これまで私が作ってきた現代演劇というものは、どうひねくれた言い方をしたとしても、新劇として輸入されたヨーロッパの演劇にその源流を持ちます。なので、ヨーロッパを目指すことにしました。ヨーロッパといってもいろいろあります。とくに留学経験もないので、漠然とイギリス、フランス、ドイツのどれか、そのなかでなんとなく自分の作品とその国の文化に近さを見いだせるものを考えたら、ドイツになりました。わずかな長さのダイジェスト映像しか見たことがないのですが、アイナー・シュレーフ演出、イェリネク作の『スポーツ劇』に強い関心を抱いたことや、2018年に森鷗外訳の『ファウスト』を吉田寮食堂で上演していたことも、ドイツを選ぶ大きな理由になったと思います。「源流」ということで言えば、フランスが適切だったのかもしれませんが(諸説あり)、個人的にいまいちピンとくるものがありませんでした。ヤスミナ・レザの「ART」はフランス語版を買っただけで、まだ読めていません。読めば変わったかも。また、National Theater at home を サブスクしてたくさん観ていますが(現実の演劇よりこっちのほうが多く見たかも)、イギリスは文字通り食指が動きませんでした。
ベルリン
ドイツといっても、そこにもまたいろいろあります。知っていたのは、フランクフルト、ミュンヘン、シュトゥットガルトなどといったある程度知名度のある都市くらいです。いくら調べてみても、とくに強く惹かれるものはありませんでした。留学エージェントに問い合わせたり、見積もりをもらったりながら、しばらくウジウジ考えていて、結局、演劇人コンクール2022のあとの交流会で、平田君に「ベルリンだね」と言われたのが決め手になりました。きっと考えてもしょうがないことを考えるのを辞めたかっただけです。ありがとう平田君。そもそも、刺激を求めて行ったことのない場所に行くのに、確固たる理由なんて持てるはずがないのです。
地獄の沙汰も金次第
当然、お金が必要になりました。2022年の時点のレートで計算したら、3ヶ月の滞在で語学学校での寮費と学費で必要なのが70万円程度、保険などを含めて100万円、余裕を持たせて約120万円という計算になりました。当時2022年11月と、2023年3月に公演を控えていて、それらを終えて2023年4月になった頃には、口座残高が1万円を切りました。お金もない、ドイツ語も英語も覚束ない。この状態では、まず留学は不可能です。文化庁やセゾンフェローに申請したとしても、採択される保証はもちろんありません。国家に首を垂れたり、バブルの残り香にむらがるのは、主義としてやりたくありません。そっちはやるとしたら徹底的にやりたいところですが、今の自分にそこまでの力があると思っていません。
というわけで、他人に依存せず、普通に働いて貯金することにしました。考えたときには、これが最も確実な方法だと思っていました。しかし、海外に行くという場合にはある落とし穴があります。計画を立てたとき、このことに気が付くことができませんでした。
あのときの120万円
1ユーロはつねに同じ金額で円に交換できるわけではありません。その金額は、様々な条件によって高くなったり安くなったりします。常識的にこのことを知ってはいたのですが、ここまで直接的に自分の人生に降りかかってくるとは思っていませんでした。見積もりをもらったり、必要な金額を計算していた頃、2022年6月の1ユーロは月平均で、141.47円。一年かけて貯めたお金を振り込んだとき、2024年4月の1ユーロは月平均は、164.86円です。 (七十七銀行のウェブページ参照)。2024年7月の月平均は171.48円にまで上がりました。8月にはニュースにもなったような大きな動きがあり、158円にまで下がりましたが、2022年6月の基準からはほど遠いです。円安が進行すると、お金を円で貯めてもユーロでは増えなくなります。いま振り返ればわかることもあるのですが、そのとき、1年後のユーロがどうなるという確実な予測は誰にもできません。今から1年後がまったくわからないのと同じです。
2024年いろいろ工夫して、平均の手取りが月30万円でした。同年代平均を考えれば、まぁまぁ頑張れてるほうです。ただかさ増しのために、週5夜勤にした影響で、なかなかに健康や精神衛生を害されました。職場はそれなりに楽しいところでしたが、二度と夜勤中心の生活はしたくないと思います。「自分にとっての」健康で最低限度の文化的な生活を維持するには、18万円から20万円程度あれば十分だったので、大人しく静かに1年暮らしました。すると、当初余裕を持って設定していた120万円に自動的に到達しました。これも結構がんばったと思います。やはり家賃が水道代・共済費込みネット無料で3.7万円だったのがとてつもなく大きいでしょう。
ところが、お金が貯まったのでもう一度計算して、請求書をもらって支払い、スーツケースやら必要なものを買って残高2000ユーロが口座に・・・?
あれ?? 足りないぞ??
いやいや抜かりはない。私は賢いので、
為替変動も考慮して、余裕をもって
金額設定したんだもの?? え??
となりました。すべてが終わったと思いましたが、人類はすごいです。借金という制度を発明していたのです。それは庶民にも開かれていて、あとで返す約束をしたらすぐに現金を振り込んでくれる会社があるのです。スマホでいろいろ入力するだけでとすぐに口座残高が増えました。あら不思議。
ビザを待つ
これでワーキングホリデービザの申請要件を満たすことができました。しかし、あくまで満たしただけです。結局は、大使館・領事館の裁量次第です。通帳コピーには、申請前日の プロミス 150000 がはっきり書いてあります。領事館のスタッフがその部分にぐるっとマルをつけるのを見てしまいました。やはりおしまいだと思いました。
申請からビザの可否が届くまでには約2週間かかるそうです。とにかく待つしかありません。「約」というのは国際的に見ても、2,3日だと思います。しかし、17日経ってもなんの音沙汰もありません。やはりプロミスしたのがいけなかったのでしょうか。あるいは、私に何か怪しい点があって、審査に時間がかかっているのかもしれません。過去の公になっている発言を見返すとやや不安になってきました。劇団なかゆびだし、パッと見怖えし、というか『わが友ヒットラー』上演してもうてるやん、こいつはドイツに入れたらあかんわなどと議論されているのかも、などと夜も眠れない日々を数日過ごし、メールで領事館に問い合わせました。100万円がパーになるのが怖いので聞きたくないという無意識もあったと思います(3ヶ月ならビザ無し滞在できるので、実はパーにはならないことにあとで気がついた)。おそるおそるメールを送信してビザの申請から待つこと20日後、ついにメールの返信がきて発送準備中とのことでした。結局3週間かかりました。「約2週間」ていうのは、約14日ではなく、「2、3週間」という意味のようです。世界は広い。
出国2ヶ月前に救急搬送され、手術へ
ビザもきた、学費も払った、チケットも用意した。あとの3ヶ月はドイツ語をやって、引越しして「ダメ押し貯金」するだけだというところに、悲劇が襲いました。休日、いい天気だったので布団をほそうとバサッとやったら左の肩が外れてそのまま戻らなくなりました。脱臼です。激痛に悶え苦しみながら、やっとの思いでスマホを使って救急車を呼びました。搬送先の病院で麻酔を打ち、すぐに治してもらいましたが、その場でレントゲンを撮影を行い、かなり抜けやすい身体なので確認するということで、麻酔が効いているうちに肩を抜き差しされました。さいきんのレントゲンは、写真だけでなくその場で実況できるみたいで、感覚がないのに肩の骨が抜き差しされている映像は恐怖でした。当直のお医者さんは「こんなぬけやすい肩、手術しないと絶対日常生活無理ですよ」と仰いました。
「手術???」
「肩専門の先生が来週いらっしゃるのでその人に診てもらってください。絶対に手術になると思いますので、先にMRIとか全部やっちゃいましょう。今レントゲンだけですけど、ぼく、専門じゃないですけど、絶対に手術したほうがいいって言われると思います」
左肩をガチガチに固定され、右手しか使えない状態でしばらく過ごすことになりました。ギリギリ仕事はできたので数週間続けました。診察を経て、七月に入院・手術となりました。もともと18歳の頃に脱臼グセがついて、それ以来年に数回脱臼していました。誰にもバレていませんでしたが、本番中に舞台上で脱臼したこともあり、そのときは自力ですぐ元に戻したりしてました。しかし、その度に関節唇は削れていったのでしょう。もう後がないというところにまできていたのです。
人生初の泊まり入院、同じく初の全身麻酔手術でした。手術前にはタバコもやめて(痰が絡んで窒息するということが書かれた資料を渡されて恐れ慄いた)、入院中は夜勤生活から解放されて、健康三食ライフになったために、血色がよくなりました。ところが、術後の炎症のせいで少しでも動くと左肩に激痛が走ります。ごっつい固定具(スリングショットスリーか、ツー)の付け方もいまいちわからないし、寝返りもうてないし、トイレもすごくやりにくいし、看護師さんはみんな優しかったですが、さすがに憂鬱になりました。
病院に長居してるとおかしくなりそうだったので術後5日ほどで退院しましたが、仕事への即復帰は不可能と判断しました。その後2週間、自宅療養です。ごっつい固定具は術後4週間つけておくよう指示されたので、職場への復帰後もあのスリングショットスリーかツーをつけての生活を余儀なくされました。職場復帰時点で、8月頭。出国まで1か月。いけんのかこれ。
住所不定無職、海外に飛ぶ
いろいろ人生をリセットしたい、という意義も見出していたので、今住んでいるところを引っ越すことにしていました。というわけで、固定具が外れても、重いものは持てず、90度以上上がらないので高いところのものも取れないという状態で、引越しを進める必要がありました。ありがたいことにいろいろな人の助けを得て、かなりのところまで進めることができました。感謝しかありません。
2024年8月23日現在、寝返りもうてるようになり、腕も90度はあがるようなり、よい引越し業者も見つかりました。左肩の周りの筋肉が固まっているので半年くらいかけて徐々にほぐしていく必要があるそうです。肩には、たくさんの筋肉が集まっており、複雑らしいです。自転車のたちこぎとか、落ちたものを拾う動作でもはじめは容易ではありませんでした。かなりよくはなってきましたが、ふとした動作でズキッとくることがまだあります。
職場に復帰したすぐあと、円高が進行する状況がおきて歓喜しました。いろんな人が大損こいたようですが、私個人は喜びに満ち溢れたものです。この調子で8月はいったん円高をキープ、帰国するときには再度円安になってほしいですが、それはまだわかりません。
ワーホリの準備には平均して1年かかるそうです。たしかに金(学費、保険、渡航費、滞在費)を用意する、現在の職場や学校をどうするか(休職、休学、退職、退学いろいろあります)、日本の住所をどうするか(一人暮らしならその間も維持しておくのか、退去してしまうのか、荷物はどうするのか)、などなど決めなければならないことがたくさんあります。かなりめんどくさいですが、避けようのないことです。お金については、計算してから実際に支払うまでに1年もあれば為替レートに変動が起きます。このことを見越して、検討した見積りプラス50万円は用意しておくべきでしょう。私の場合、プラス20万円ではプロミスする必要がありました(なお、私は見積りから2年後の支払いでした)。
ここまでいろいろあって、まだ準備しただけです。現状はお金と時間が無くなっただけで、何も得られていません。なのでとても憂鬱です。このお金と時間で、いろいろなことができたてじょう。機会費用というやつです。費用を安く抑えることに長けた演出なので、E9で1、2作は公演ができたはずです。あえてそうしなかっただけの価値を生み出さねばなりません。何のためにやっているのかわからなくなることもありましたが、あたたかいご声援のおかげでここまでたどり着きました。今後もこちらで不定期に(とはいえまぁまぁな頻度で更新している)ご報告いたしますので、どうぞそのままお待ちください。
出国1週間前、台風がくる
という文章を書いていたが、ここにきて事態が収束しなくなった。台風10号の近畿最接近日と関空出発日(2024年8月31日)が被ったのである。ただいま2024年8月30日の正午。京都は嘘のように晴れている。友人に別れの挨拶をしたが、なんか締まらない。引越ししてしまったので帰るところもない。退去費用が17万円だったことなんかどうでもよくなりつつある。劇団解散、続く円安、ビザの発給の遅れ、急な入院・手術。もういい。めんどくさいので韓国まで泳いでから、徒歩で北朝鮮、中国、ロシアからシベリア鉄道でモスクワまで行き、モスクワからポーランド経由でベルリン到着でもいい。なんでもいい。というかこれでベルリンおもんなかったらキレるぞ。
・・・出発前日、行くまでの諸々がまだまとまっていない
次回「飛行機乗れた」